〜楽しく人生を閉じるには(You Tube)〜で「やってしまった後悔」と「やらなかった後悔」の話を成田悠輔さんが話しているのを聞きました。
「やらなかった後悔」はグチグチしているもので、一方「やってしまった後悔」は大失敗をしたとしてもカラっとしている
というような話です。これを聞いてちょっと考えてしまいました。
目の前の不倫者がカラっとしているようで腹が立つことはあります。戻ってもいいかと聞かれた時は「どうぞ」と言いましたが、不倫に関して謝罪の言葉もなく、夫婦としてやり直したいという言葉もありません。
当然のように過ごし、不倫など無かったかのように自分のための運動部屋まで作り始めました。
相手は他人。夫婦とはいえ、相手の気持や行動を知ることもコントロールするのも不可能なので好きにさせています。
私はといえば、過ぎたことは責めても仕方ないし、その責めてる私の時間も楽しくない。いつでも離れられるし、巻き込まれた不倫問題に対しては私なりにやり切ったし、どう考えても不倫に関して私は悪くない。
騙されてしてしまった結婚には後悔してるけど、私は全てにおいてできる限りの事をしてその時その時を生きてきたつもりです。
結果、表面上は2人共カラッとしています。
傷はいつか薄れるとはいえ、いくら足掻いても薄れるだけでその傷はもう元には戻りません。
人を純粋に愛する事も愛されることも信用する気持ちも信頼する気持ちも失いました。
それを「我が人生」と受け止めながら子供が自立するのを待つことになりました。
愛も信用も信頼も諦めたら楽ちんです。諦めるというより消去した感覚です。
自分が今、この時間を穏やかに生きていくためにはそれでいいと思っています。
人は皆違います。
今の私はこれでいいというだけです。