アルバム曲紹介09.六月三日-Album ver.- | 近藤晃央オフィシャルブログ Powered by Ameba

アルバム曲紹介09.六月三日-Album ver.-

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アルバム全曲紹介。
今回で9回目になります。

M.9 六月三日-Album ver.-

9曲目に収録されるのは、
昨年配信シングルとしてリリースされた
「六月三日」のアルバムver.になります。

この曲については、
昨年も沢山語っていたが、

改めて説明すると、
実の姉の結婚式にプレゼントした楽曲だ。



僕と姉は、
自分で言うのも気持ち悪いが、
とても仲が良い姉弟だと思う。

しかし、思春期と呼ばれる頃は、
ろくに会話もしていなかった。

僕は、小学校6年から、
いわゆる「不登校生徒」で、
学校に3年弱、行けていなかった。

高校受験を1年後に控えた、
中学2年の時、

僕の高校進学への道を
切り開いてくれたのは、
音楽と、姉だったと思う。



当時、3つ上の姉は高校生。
高校に進学してから、
中学時代よりも遥かに
楽しそうにしていて、輝いていた。

ダンス部に在籍していて、
その話を家でよく聞いていた。

僕は姉を見て、
「環境の変化」が、
まるで「人生の変化」の様に感じた。

しかし、

3年も学校に行っていなければ、
出席日数が足らないどころか、
勉強も追い付かない。

その時、姉が
通っていた高校の校長に
「弟が学校に行けてない」という様な話を
相談してくれていたそうだ。



その高校の校長は、偶然にも、
僕の中学時代の恩師「幼馴染」だった。

※その恩師は、
僕のプロフィールにもよく載っている、
僕の夏休みの感想文を読んで、
「晃央は、感性を活かした仕事に就きなさい」
と言ってくれた中学時代の国語の先生である。



その恩師から、当時、
こんな言葉を言われた。



「あそこの校長が
『ちゃんと勉強して、
最低限成績を取り戻しなさい。
それが出来たら、うちを受験しなさい。
あいつの弟なら、きっと面白い奴だ。』
言ってたぞ。」



僕は中3の1年間で、
4年分の勉強をして、
平均くらいまでは成績を戻す事が出来た。

家庭教師をつけてくれた親にも感謝だ。

その後、
姉が卒業したばかりの
その高校へ僕は進学した。

高校時代は音楽仲間にも恵まれ、
バンドをやる楽しさを知った。
サッカーも楽しかった。

姉貴を知る先生や、
姉貴の後輩(僕からすると先輩)から、
よく気にかけてもらったりした。

とても恵まれた環境だったと思う。

結果的に僕はその後
色々考えて
この高校を中退する事になったが、

今振り返っても、
とても良い出逢いに恵まれた。
進学して良かったと思う。

町の集まりだった中学時代から、
色んな場所から集まる高校へ
進学した事によって、
僕は人生の「最初の広い世界」を
知ったのだろう。



そのキッカケを作ってくれた事と、
同じ高校へ進学した事によって、
姉との「共通言語」が増えた。

仲が良くなり始めたのは、
この事が大きかったと思う。







僕が22歳の時、
うちの祖父が亡くなった。

亡くなって
しばらくは、

東京と愛知で、
泣きながらよく姉と電話をしていた。

うちは両親が共働きだったので、
祖父母と過ごす時間が長かったのだ。

じいちゃん、優しかったなぁって。
姉も僕も「優しい気持ちになれる時は、
じいちゃんのDNAのおかげだなぁ」って
話していた。

口もきかなかった姉弟が、
色んな話が出来る様になっていた。



そんな姉が結婚した事は、
僕が人生で最も
「自分の事のように嬉しい」出来事だった。
なかなか本気でそう思える事はない。

そして、

それから僕は、姉ちゃんが産まれた時の事を
親から聞いてみたりしていた。

ふと、
「じいちゃん」の顔が浮かんだ。

きっと、
「じいちゃん、祝福してるよ」と。

「孫が花嫁になった」って、
喜んで、きっと泣いちゃってるよと。

そんな事を思いながら、
涙を浮かべながら、

僕は曲を作っていた。



2012年6月3日。
姉へ、この曲をプレゼントした。

結婚式当日も、
僕はボロボロ泣いていた。

情けないくらいに、
泣いていた。

姉ちゃんは泣きながら笑っていた。
「晃央、泣き過ぎじゃない?」と。

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愛 そのものだった命が
愛される事を知って
今 愛する事を知って
おめでとうって伝えたくても
もう 伝えられないあの人も
きっと今ここに居て 祝福してるよ
-歌詞より抜粋



結婚というものを、
僕はまだ経験していない。

結婚というものが、
どんなものなのかも、
正直想像でしかない。

でも、この曲は、
ウェディングソングという枠を越えて、

家族や、命の繋がりを経て、
「大切なひと」や「守りたいもの」と
出逢えた愛情を歌った曲なのだと思う。

すべては繋がっているんだと。



この「六月三日」を、
配信シングルのままではなく、

アルバムver.として
アルバムに収録する事になり、

僕はこの曲に
どうしても参加して欲しい
ミュージシャンが居た。

昨年末のワンマンライブで、
参加して頂いたバイオリニスト
NAOTOさんだ。

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NAOTOさんと初めてお会いしたのは、
このライブがキッカケだったが、

共に過ごした、
リハーサルと、ライブ本番。

その2日間で、
僕が抱える悩みや状況、
そして個性や能力など、

僕はNAOTOさんに
良い部分も、悪い部分も、
短期間で見事に見抜かれ、
そして励まされた。

僕は基本的に人と打ち解けるのに
かなり時間がかかる。

が、

知り合ってこんなに僅かで、
打ち解けられた人は珍しかったし、

NAOTOさんの音楽に対する姿勢から、
得るものはとても大きかった。

反応。瞬発力。表現力。理解力。創造力。
緊張感。高揚感。冷静。情熱。
客観性。斬新さ。
技術。努力。才能。人間力。自信。

そして、
それを楽しめるキャパシティ。

NAOTOさんと話した沢山の事で
自信を持てた事が僕には沢山あった。

NAOTOさんにあの日言ってくれた
「晃央くんなら大丈夫だよ」に、
僕は必ず、笑って応えたい。

「NAOTOさーん!大丈夫でしたー!」と。

色んな人との支えがあって、
他曲も含め、良い精神状態で
アルバムのレコーディングへと
入る事が出来た。
本当に感謝です。



NAOTOさんが吹き込んでくれた旋律は、
ミュージシャンとして
素晴らしかった事はもちろん、
ソングライターとして
この曲を深く理解してくださった
素晴らしいものでした。

編曲の江口さん、ドラムのターキーさん、
そして玄編曲とバイオリンの
NAOTOさんを始め、
みんなが「良い曲だなぁ。」と
言ってくれていた。

ミュージシャンに
こんな風に愛情を注がれた曲が、

聴いて頂いた方の
それぞれの愛情と重なったら。

それはまた「自分の事のように嬉しい」と
思える、大切な出来事となるでしょう。



「身近な人、特定人物へ書いた歌」
だとしても

それは誰かにとっての
「身近な人、特定人物」と重なる
そんな歌となりますように。

色んな共有の仕方があるね。

今年も、もう少しで、
6月がやって来る。