この仕事は、人に会う事がない。
何時仕事が入るか分らないから、休みも不定で、趣味も限られる。
魅力ある人間でいられる為には、ドキドキ・ワクワクする出来事はかなり重要な割合を占める。
ただ、それは人間との交わりでしか得られない。
人に関わる事が極端に少ない私にとっては、いかに胸を高鳴らせる出来事を見つけ出すかに
苦労している。
しかし、不定期の休みの合間を縫って、友人の節目の時期に会う事が出来た。
友人は、洋菓子店を営んでいて、移転の準備を進めていた。
その、オープン前の店舗をこっそり見せてくれるというのだ・・・!
深夜2時。静かな住宅街の一角に店はあった。
元は作業場兼事務所を改築したそうで、通常の小さな洋菓子店の3倍程の広さが
あるという。
裏口のシャッターを開ける音が、深夜の街に響く。
開けるやいなや、ダンボールが山積みにされており、夜遅くまで移転準備に追われているで
あろう状況が伺える。
友人は、今回の移転に際しこだわったという、厨房へ案内してくれた。
洋菓子店の厨房に入るなんて、人生初の経験である。
厨房は30畳程のスペースがあり、冷蔵庫を2台合体させて、横倒しにしたような
巨大なオーブンが2機設置されていた。
その他、1.5畳程のステンレスカウンターや、業務用冷蔵庫などが並び
荷片付けに追われているにも関わらず、埃ひとつ無いこの空間からは
冷気を帯びたような緊張感を感じた。
売り場にも案内してくれた。
内装は全て木に統一してあり、暖かな木の香りがたち込めていた。
客からは見えない床の木
正面玄関のドアノブの、柔らかで滑々の感触の木
今後手入れが大変であろう床の、天然そのままの木
私は、とりあえず思いつくままに、それらを手で触り、匂いを嗅いだ。
目で見ただけの映像に触れた経験が重なれば、後々リアルに感動を思い起こす事が出来る。
それに、ここまでのモノを作り上げた人間を目の前にして
こうすることが、何よりの『褒め言葉』だと思ったからだ。
オープンから3日後、友人に内緒で再び洋菓子店を訪れた。
午後の店は、子供連れの母親や、年配のマダムで喫茶コーナーも賑わっていた。
とりあえず、店で一番人気のケーキと自分が気になったケーキを買って店を出る。
彼への門出の祝いだから、特別だからと自分に言い聞かせつつも、その日のうちに
ケーキ3個を食べてしまった。