「好き」を言語化する技術
推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない
作者:三宅香帆
出版:ディスカヴァー・トゥエンティワン



三宅さんの言葉で「クリシェ」や「強い言葉」と聞いて、次のような事を思い出しました。

 ブログのタイトルを考えている時、あまりにも良く似た言葉を見た事がありすぎて、
「この見出しの雰囲気見た事あるわ!」
と自分でもツッコミを入れたことがあります。

 よく読まれている記事や、お手本にしたい記事の真似をしていくことは初心者の基本です。
しかしなんだかありきたり過ぎて、ゲンナリして、気持ち悪くなった事もあります。

そしてそれ以外の言葉を考えようとしても、インパクトが薄いと感じたり、ちょっとこれは盛りすぎだな、みたいな言葉になったりしがちです。


 この本を通じて、自分も洗脳されているという事。また、この本の内容が自分の身近な出来事であるという“感覚”を言語化くれているなと感じました。



 私はできるだけ子供にスマホを持たせたくないと考えます。このご時世に、難しいという事もわかっています。(そもそも自分が手放せないのだから)
しかしせめて何故やめて欲しいと思っているかを理解していて欲しいです。

アルコリズムによって上がってくる記事のタイトルを見ているだけでも気持ちが悪いのに、その文章の“言葉の使い方“さえも私たちに植え付けようとしてくるのかと思うと、怖くて携帯との距離をとりたくなります。(まあ実際には無理なんですけど)


 無意識に洗脳されていること。自分の考えや言葉が奪われていっていることを知っていて欲しいのです。せめて、気づいていて、織り込み済みで使用していて欲しい、と思います。
それがわからないうちは使用しないで欲しい....


 この本を読んでいて、最初のほうは読書感想文を書くときにとても役立つ本だ、自分の子供たちにぜひ読ませたいと思いました。(今もそう思ってます。なんなら読書感想文を書きたくなります)

ですがあとがきまで読んでみて、最初は読書感想文のために読んで欲しい!と思っていましたが、この文章を書いているうちに私がこの本で子供達に伝わって欲しいところはそこ(文章の書き方)ではないとわかりました。

三宅さんが言う通り、書いてみるって大事ですね。