カーテンの隙間からわずかに光が差し込む。真っ直ぐ仰向けになっていた平手の顔に光はもろに当たっている。目を開けると同時に、眩しさですぐに閉じそうになる。
「朝……。そっか。もう朝か」
眠気の余韻に浸かっていたかったが、なんとか目を擦り意識を保つ。二度寝をしてる時間は平手にはない。ここで寝てしまってはいけない。帰る準備を整えようと、平手は立ち上がった。
身支度を整えながら平手はこれまでを回顧していた。はじめて施設にやってきたこと。最初はずっと一人だったこと。次第に家族が増えていったこと。そして音楽に出会ったこと。
今まで自分の人生には価値がない。そう考えていたが、今は誰よりも幸せなのではないか。そんな気持ちが薄らと平手の中に湧いていた。
「もー少しゆっくりしてけばいいのに」
「行かないといけないとこがあるの。てか、わざわざ皆で見送りしなくても……」
荷物を持って施設の入り口前まで来ると、菅井や理佐。天、ひかる、夏鈴。その他色んな子供たちが見送るために、やってきていた。
「ね、友梨奈お姉ちゃん。次はいつ会える?」
見上げる天の瞳はキラキラと輝いている。平手は一瞬バツが悪そうにしたが、すぐに微笑んだ。
「天、ひかる、夏鈴。おいで」
言われるがままに三人が近づくと、平手は優しく抱きしめた。
「お姉ちゃんも寂しいの?」
天は腕を平手の背中に回した。
「うん。できれば離れたくないな」
「じゃあ、もっといればいいのに」
顔をうずめて、ひかるは甘えた。三人の中では姉のような役割でいるが、本当は甘えたかったのだ。
「……大人になるとね。子供の頃に見てた夢を忘れちゃうんだ。辛いことがいっぱいあるから。けど挫けちゃダメだよ? きっと乗り越えられるから。もしどうしても辛くなったら、私のこと思い出して」
「……お姉ちゃん?」
「約束。してくれる?」
いまいちピンときてはいなかった。けれど、辛い時は自分を思い出せ。それだけはしっかり三人とも理解していた。
「うん、わかった。約束。絶対守るよ」
「本当にいい子だよ、三人とも」
「私たちにはなにもないの?」
そんな様子を微笑ましいと思いながら眺めていた菅井が茶化すように言った。横にいる理佐は、そんな菅井を見て少し笑った。
「んーー。本当にお世話になりました。感謝してます。……かな?」
「おー! まさか友梨奈ちゃんからそんな言葉が聞けるなんてね! 少しは素直になることを覚えたのかな?」
「まぁねー。大人になったんだよー」
一度話せば、この場から離れづらくなる。内心平手は分かっていた。けど、止まりたいという気持ちが一歩進むことを妨げる。それでも平手は振り切って踵を返した。
「じゃ、もう行くよ。楽しかったよ」
「気をつけてねえー!」
足を動かせば動かすほど、見送りの声は徐々に小さくなる。なんとなく振り返れば、まだ手は振っているんだろう。けれど今振り返れば、抑えていたものが溢れそうだ。平手はグッと堪えて施設を後にした。
「ヤッホー。平手さん」
駅まで歩いてる途中。覚えのある声が聞こえてきた。立ち止まって後ろを振り返ると、天使のオゼがいた。
「オゼさん。あれ? 私のお迎え?」
「うん。もう少しで時間だしね。といってもあなたギター返したりしなきゃいけないんでしょ? だから友達のとこまで連れてってあげる」
「うそ? マジ? そんなことまでしてくれるの?」
「ほんとはここまで干渉するのはダメなんだけどね。あなたのこと、気に入ったから。特別にね」
オゼは手を差し出した。一瞬なんだと思った平手だったが、今更何も驚くことはないし、怖がることもない。すぐに手を掴んだ。
すると、先ほどまでいた場所とは変わり、友人である小林の自宅前まで移動していた.
「天使ってなんでもありなんだね」
「まぁ、割とね? そんなことより、ほら。行ってきな」
急かされるままに平手はインターフォンを鳴らす。無機質な音が2回鳴ってから、眠そうな声で返事が返ってきた。
「……はーい。あ、平手……? なに、どうしたの……?」
「ギター。返しにきたよ」
「あぁ……。今行く……」
通話が切れると同時に家の中からドタドタと音が聞こえてきた。
「こんな朝早くに返しにきてくれたんだね。ゆっくりでもいいのに」
「ううん。楽器はちゃんと持ち主の所にあった方がいいから」
「……そっか。そうだね。ありがとう」
小林はギターケースをゆっくり玄関に置いた。
「こば。あの時、ギター勧めてくれてありがとね」
「え?」
「こばは私の恩人だよ。本当にありがと」
突然お礼を言われた小林は、照れくさそうに視線を泳がした。
「な、なによ。急に。改まっちゃって……。なんかきもちわるいな……」
「失礼だな。お礼しただけじゃん」
「それが変なんだよ……。でも平手がそう言ってくれてよかった。責任感じてたからさ」
「なんの?」
なんの責任なのか、平手には検討もついてなかった。「感謝しなさいよ?」みたいなことを言われると思っていただけに、平手はやや戸惑った。
「私がギター勧めてなければ、嫌な思いしたりしなくて済んだのかなって。だから、その、責任感じてたんだ」
小林は平手の友人だ。そして音楽の道を歩ませたきっかけになった人物。しかしその結果平手は苦しい思いもした。そのことを小林は負い目に感じていたのだ。
「なんだ、そんなことか。こば。確かに私は音楽をやめた。それは辛いことがたくさんありすぎたから。けどね、私は音楽をしててよかったって。今なら本気で言える。だから、ありがと」
目を真っ直ぐ見て感謝の言葉をまた平手は言う。それに気まずさを感じた小林は、思わずまた目を逸らした。
「そ、そんなに改まって言わなくていいよ! 本当にあんたはそういう時だけはっきりと……。本当に昔から変わらないよ……ね。って平手?」
ふと目を平手に向けた時だ。そこに既に平手はいなかった。イタズラかと思ってドアを開けてもそこに平手はいない。
不思議そうに小林は玄関で首を傾げた。
「これで本当にさよならだね。由依」
「挨拶は済んだんだね。あ、もう一人の友達にはいいの?」
「葵は大丈夫。どうせ寝てるし」
これが今生の別れだと言うのに、軽く言い放つ平手に苦笑いするが、オゼは「そ、そう」とだけ返した。
「そういえば私があの世に行った後、私の死体ってどうなるの?」
「あ、そうだったね。それについて言ってなかった。死因については天使である私が少し改変して、整合性を取るつもり。どういう死因にしたい?」
本来事故死だった平手は一度生き返ったのだ。そこから三日後の現在。再び死ぬ平手は死因を自分で選べると言うのだ。
「じゃあ病死って事で」
「わかった。そうしておくよ。それじゃ、これからあなたを霊界に連れて行くけど、準備はいい? それともまだなにかある? 時間は少しあるけど」
少し考え込む平手。しかし、すぐに笑って首を横に振った。
「ないよ、このまま連れてって」
「……わかった。じゃあ行こっか」
「うん。……強いて言えば、もう少し生きたかった、かな」
オゼはその言葉に少し驚いた。三日前は生きる気力すら残っていなかったというのに。
「三日で人は変わるものだね」
「私も驚いてるよ。こんな気持ちがまだ残ってたなんてね……。いや、本当は大事なことを忘れてただけなんだろうね。私は大切なものに溢れてたし、私を必要としてくれてる人達はずっといたんだ」
既に先ほどいた場所からは高く舞い上がり、雲の近くまで上っていた。
ふと前を見ると、太陽のような光の輪がオゼと平手を照らしている。
そんな時だからなのか、平手は過去をなぞるように、心情をこぼした。
「気づくのが遅かったみたいだけどね」
平手はそう言ってオゼに笑みを浮かべた。もう今更自分の死は消せない。平手はそう分かっている。オゼは特に何も言うこともなく、ただ見つめ返した。
「ありがとう。天使さん」
「今まで通りオゼでいいよ。たった三日でも、あなたといると親近感がすごいあった。私があなたと同じ人間だったら、きっと良い友達になれただろうなあ」
残念そうにオゼはそう言うと、空中をくるりと周り、平手の前に飛び出た。
「天使っぽくないからね」
「あ! バカにしたでしょ?」
「してないよ」
「うっそだー! 絶対バカにしたー!」
「してないってー」
二人が光の輪の中に入ると、一瞬世界を包むのではないかと思うほどの光を放ち、すぐさまにその輪は消えた。そこには、平手の姿もオゼの姿ももうなかった。
ただいつも通り地上を照らす太陽と青い空が広がっていた。