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おはようございます。
木曜日の午後に息子くんが二回目のワクチン(ファイザー)を接種しました。
40分ほどかかって学校から戻ってきて接種後、
午後は私が学校まで車で送りました。
夕方に学校から戻ってきて、サッカーの練習へ。
練習から戻ってきて、友達とまたまたサッカーへ出かけてました。
でも、流石に翌日の午後から調子がイマイチで、
おかゆさんを食べたら、半日寝倒してました。
微熱ではありましたが、なんとなくしんどい、、と言ってました。
今日は少し楽になっているといいな。
ちなみに、彼はまだ絆創膏を外してません😂
パラリンピックが始まり、はや1週間が過ぎようとしてますね。
私がついこの間まで、フランスのオリンピック選手のお世話をしていた神戸の合宿先に、
現在パラリンピック選手が滞在しておられます。
今回もそこでスタッフをされている旅行会社の方から様子を教えていただきましたが、
みんなとてもフレンドリーで優しい方々らしくて、
どちらかと言うと少しピリピリしてるかも、、というオリンピックの選手に比べると、
協力しあったり助け合ったりする姿がとても微笑ましい光景らしいですよ。
もちろん、オリンピックの選手たちもとても愛らしい場面をたくさん持っておられて、
時間が経つにつれて笑顔もみられるようになりましたが、
彼らの場合、国をあげてのプレッシャーや期待を一人で抱えていて、
個人競技である分、それは重圧も一人で感じなくてはいけないので、
緊張もひときわだったかもしれません。
ただ、オリンピックの選手たちは、
同じチームや同じ競技関係の友達同士ではつるんでいましたが、
みんなと一緒に何かをするという感じではなかったです。
そこがパラの選手たちとは全く違っていたようです。
例えば、パラリンピックの選手たちは、合宿が始まる前に、
グループディスカッションの共有発表会を行ったそうです。
スタッフの方も参加したそうなんですが、それはそれは感動的だったそうです。
内容はこんな感じです👇
✅時間遵守する事
✅イアホンの音漏れ禁止
✅睡眠の大切さ
✅結束を固める事
✅年長者と若い人の垣根を無くして交流しよう
✅本音で話そう
✅お互い尊敬、信頼しよう
✅私たちは一つのチームだから、困ったことがあったらお互い助け合おう
✅いい環境で練習させて貰ってることに感謝して、パフォーマンスをあげよう
✅騒音で他の人の睡眠を妨げないようにね
✅みんなで連絡を取り合って、見えない人や困ってる人を助け合おうね
✅グループネットワークなどでお互いがどこにいるかを確認しあって、
今日みたいにだれかごくれてきて迷惑をかけるとかを無くそう
✅一つのチームだからお互い支え合おうね
✅連帯、協力、強調を高めようね。
✅簡単な日本語を覚えて、積極的に使おうよ!
この最後の文は、素敵ですね!!
なんか文化交流って感じ。わぁ。私もパラリンピック合宿参加したいなぁぁ。
(まあ、うちの家族は限界だったんで、無理なんですけどね笑)
フランス陸上!頑張れ〜!!
ところで、皆様
パラリンピックで応援している選手はいますか?
私の一押しはこの方!
スイス人の自転車ロードレースの選手、
ハインツ・フライ さんです。
彼は、63歳!!
1958年1月28日生まれのスイスドイツ人で、長い長いキャリアの持ち主です。
彼の輝かしい貢献は次のようになります👇
🇨🇭 ロンドンマラソン 優勝3回
🇨🇭 2003年までにヨーロッパ選手権 金メダル5回
🇨🇭 夏と冬のパラリンピック 金メダル15回
🇨🇭1984-2008 全夏のパラリンピック 陸上で参加(マラソン)
2008, 2012, 2016年 夏パラリンピック 自転車競技で参加
1984, 2006年 冬パラリンピック アルペンスキーで参加
2006年 冬パラリンピック バイアスロン(クロスカントリー+ライフル射撃)
🇨🇭 冬のパラリンピック クロスカントリー スキー 1984+2006年
23年ほど前、私がジュネーブの旅行会社で働いている時、
日本の政府から招待を受けていたフライさんに確認の電話をしたことがありました。
その頃、すでにとても有名な方だったので、ちょっとドキドキしましたが、
ものすごくフレンドリーで温かい人だったことを今でも覚えています。
それ以来、彼の活躍はずっと気にしてみていました。
まだリタイアしないで車椅子自転車競技に参加されるフライさん。
もしかしたら、これが最後の挑戦になるのかもしれないので、
しっかり応援しようと思います。
ハインツ・フライさんの障害者クラスは H3
競技名 ロードレース
競技場 富士スピードウェイ
競技日 9月1日(水)
競技時間 14時20分
HOP! HOP! ホップホップ(頑張れ頑張れ〜🇨🇭🇨🇭)
ハインツ・フライさん!!
彼のインタビューの様子で、彼の優しさが伝わります。
このインタビューの通訳ですか??
スイスドイツ語ですよ!無理だ。。
ワハハ。意味不明です🙏
電話で話した時、彼は英語ペラペラでした。
ハインツ・フライさんは、山を走っている時の転落事故が原因で、
1978年(20歳)に対麻痺と診断されました。
今から43年前のことです。
車椅子の生活を余儀なくされた中、
「何故、こんなことに、何故」という疑問の繰り返しの日々を送ります。
疑問、疑問、喪失が終わることなく、自分を占領していた段階の中、
自尊心と責任の構築が大きな挑戦であるのだと気づきます。
「自分の足で立つ」ことはできませんが、
「自分の人生を自分の手に委ねる」ことが目標となり、
成功への道を一歩一歩進んで行ったそうです。
「ユートピアを夢見ない」で「可能性を実現する」
自分自身への「境界線」を認めることを理解することで、
彼は復帰への道を歩み出しました。
彼は自分のスポーツ器具を友人と一緒に考え、作っていきました。
その頃はまだ障害者用のスキーや自転車は、十分に開発されていなかったからです。
スポーツの再開を通して、彼は健康で元気な心を取り戻します。
やがて、リタと言う素敵な女性と出会い、結婚します。
Jan(24歳)とTamara(21歳)と二人の子供にも恵まれました。
いつも前向きで人生を楽しむ彼の姿には、本当に力をもらいます。
彼は雑誌のインタビューでこんなことを言っていました。
「生きる喜びはいつも私に寄り添い、時折喜びへの飛躍を与えてくれました。
いつも、
ユーモア・静けさ・私の体への敬意・そして個人的な責任を持ち続けていたい。」
こんな豊かな人生を送るようになった今でも、
彼は時々
「事故のせいで、自分は人生で実際に何を逃したのか」
を自問することもあるそうです。
辛い心の傷を克服して、
強く優しい心を持ったパラリンピックのアスリートの方々も皆、
このような気持ちを自問したりするのでしょうか。
生きていくというのは、
本当に辛いことも多く、心の迷いに翻弄されることもありますね。
それは障害がある人でも、ない人でも同じなのかもしれません。
パラリンピックの開会式でのお話の中で、
何らかの障害がある人は、人類の約15%ということを知りました。
パラリンピックを通して、
様々なことを学び、今一度思いを巡らすことは
とても意義のあることだと思います。
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