ランキング参加しております🙇
にほんブログ村
みなさま、秋の休日はいかがお過ごしでしょうか。
ヨーロッパは今週の土曜日から日曜日に変わるタイミングで、
夏時間から冬時間に変わります。
日本との時差が、7時間から8時間に変わります。
日本がまた遠くなりました笑
でも、私たちは1時間余分にもらえる瞬間です。
何も得してないのに、
ヨーロッパ中の人が得した気分になります。
私はNHKの連続ドラマ「エール」を観ています。
バリバリ日本のオバチャマでしょ?
今週は、長崎で被爆したドクターの役で吉岡秀隆さんが出ていましたね。
床に伏せる彼の少し疲れた表情の彼の面影に、
私はある人を思い出さずに入られません。
今日は、近所のお散歩コースの写真とともに、
秋の情緒を感じながら、
ちょっとセンチメンタルなお話をしたいと思います。
吉岡秀隆さん。
私の好きな俳優の一人です。
演技ももちろんなんですが、
私にとって彼はとても特別な存在なんです。
「北の国から」のシリーズは本当に何度もなんども観ていました。
「男はつらいよ」でもあどけない可愛らしさが心に残っています。
5歳の時から子役で芸能界入り。
「山口さんちのツトム君」の歌も彼が歌って、
150万枚以上のレコード売り上げだったそうです。
もう知らない方の方が多いとは思いますが、
可愛い男の子の声がなんとも心を打たれます。
彼が青年になった頃、私の得意先のお客様から連絡がありました。
「吉岡秀隆って知ってるか? もうすぐ家にくるんやけど、あんたも来ないかい?」
日本で父の旅行会社を手伝っていた頃、
私が本当に良くしていただいたお客様で和田さま(偽名)という方ががおられました。
60代で、奥様とお二人で工務店をされておられた経営者でした。
実は吉岡さんは、私のお客様の甥でいらっしゃるそうで、
その日は吉岡さんが叔父さんを訪ねてくる日だったようです。
私ったら本当に臆病で、
「恥ずかしいので行かないです。。」とお断りしてしまいましたが。笑
今思えば行っていれば良かったかな、と思います。
一度でいいから、和田様と吉岡くんが並んで座る姿を見たかったです。
吉岡くんが小さい時はあまり感じませんでしたが、
ブラウン管を通しての彼の情緒ある面影は、
私の大切な思い出の人、和田さんを色濃く思い出させてくれます。
ああ、和田さんにもう一度会いたい!と涙が溢れそうになります。
父の会社に和田さんから初めてお問い合わせの電話がかかってきました。
今からもう37年前頃の話です。
仕事があるから、土曜日しか休めない。
城崎温泉で来週部屋がないか調べてくれないか、ということ。
当時は土曜日というとどこも満館。
思い通りの旅館になかなか泊まれませんでした。
なんとかご予約をさせていただいて、旅行クーポンを持って彼の会社を訪れました。
ふた部屋あるこじんまりしたお部屋ですが、居心地の良いソファも置いてあり、
その日から私にとって心の落ち着く憩いの場所となっていきました。
いつも奥様がお茶を入れてくださり、
和田さんの大きな笑い声の響く、大好きな空間となりました。
和田さんご夫婦は旅行が大好きで、でもなかなか予約が取れないということ。
私はこんなご提案をさせてもらいました。
「この温泉にこの土曜日、というご依頼ではなく、
土曜日にたまたま空いている、行かれたい温泉のリストを常時お伝えするのはどうでしょう。」
それ以来、和田さんは1ヶ月に一回は温泉旅行に行かれるようになりました。
旅行のない週も和田さんは頻繁にお電話をくれて、
お茶をいただきに、ご飯をいただきに、
営業のお仕事の帰りに寄らせていただくようになりました。
そのうち和田さんご夫婦のご旅行にも同伴させていただくこととなり、
彼の大きな居心地のいい車で温泉旅行まで行かせていただくようになりました。
そしていくら支払うと行っても、
旅館代、高速代、ランチ、そしてお土産までいただいて、
至れり尽くせりの旅行をたくさんさせていただきました。
しかも彼らの泊まられる旅館は高級旅館。
ある日、石川県の山に囲まれた温泉旅館のお部屋に入った途端、
私が、「わあ!山が迫ってくるみたい!」と言ったのを
和田さんはワハハと大笑い。
こうやっていつも私のちょっとした一言に一喜一憂する方でした。
そのうち私も添乗が重なりなかなか和田さんのところに寄れなくなっていました。
ある日、和田様の奥様からお電話がありました。
「うちの人がね、ちょっと調子が悪いのよ。
病院に言ってと頼んでも、嫌がって行ってくれないの。
あきちゃんが言ってくれれば、行くかもしれないからお願いできる?」
急いで和田さんの事務所に寄ってみて、和田さんのちょっと黄疸のでたようなお顔に驚きました。
それで私のとても信頼しているお医者様のところを紹介しました。
「奥様とお二人で、たまには健康診断に行ってきてください。
もうお願いしてますから」
とほぼ強制的。
和田さんは私がそこまで言うのならと、
お二人で健康診断に行かれました。
その日の夜、お医者様から私に電話が入りました。
「急を要するので、和田さんにもう一度きてもらってください。」
それからはあっという間に入院ということになっていきました。
彼はガンに侵されていました。
多分かなり進行していたのだと思います。
その頃私は、カナダへの留学を計画していました。
もうすでに学校もホームステイも決まり、
父の会社も辞めることにした状態の時でした。
出発の直前だったので、
一度だけ病院にお見舞いに行きました。
心配している温かい親戚家族に囲まれて、
太い眉毛が弱々しく下がった、少し小さく見える和田さんがベッドにおられました。
彼は私に餞別袋を手渡されました。
「カナダの留学、頑張ってきてください。」
若かった私は、彼の病気の症状がそこまで深刻とは知らず、
人がこの世からいなくなってしまうという現実も知らず、
そのお餞別袋を嬉しくいただいて、カナダに旅立ってからは
あまり和田さんのことも考えることがなく、
自分の冒険に没頭する毎日でした。
あのお餞別をいただいた病室での和田さんが、
私が最後にお会いした貴重な時間であったなんて、
その時は考えもしなかったのです。
今でもこの餞別袋だけは手放せません。
あんなに親切にしていただいた恩師であるのに、
晩年は何も力になれなかったこと。
日本に戻ってきてすぐにお墓には行けなかったこと。
短い里帰り期間の中、結局奥様にも会いに行かなかったこと。
(何年も経ってから、奥様になんとか連絡がついたのですが、
老人ホームに入っておられて、電話の向こうから、
「どなたさんでしたかいね?」と言われました。
彼女は重い認知症になっておられました。)
長い間和田さんから受けた恩を忘れていたこと。
有頂天になっていた若くてバカだった自分のこと。
何が大切で、何が大切でないかの分別もつかなかった暴走した若さ。
それを戒めるためにも、このお餞別袋は手放せなかったんです。
でも最近気付いたんです。
このお餞別袋はカナダに行く私への彼のエールだった。
ただそれだけなんです。
若気の至りで、自分のことは許せないけれど、
このお餞別袋を懺悔の暗い思い出にしたくない。
この袋は、
和田さんから私への温かい
「エール」なんです。
だから、私を守ってくれる大切なお守り。
和田さんご夫婦との大切な大切な思い出がいっぱい詰まったお餞別袋なんだって。
いつまでも「ごめんなさい」って言ってたら、
和田さんに怒られちゃいますね。
和田さんの分もたくさん頑張らなくちゃ。
恩はその人に返せなかったけれど、
その分、他の人にいつか恩返しができればいいなと思います。
若くて、未来を冒険する人に、
私もお餞別を渡して、
「エール」を送る日がくるかもしれませんね。
今はこんなコロナの時代で、旅行も行けないですけれど、
やっぱり私は旅行の仕事を続けていきたい。
そして誰かの思い出のお手伝いをしたい。
それが私の和田さんへの恩返しなのかもしれません。
読んでいただいてありがとうございます。
人のご縁、
これからはもっと大切にしていきたいと思います。
いつもイイね👍とランキングのポチっ、ありがとうございます。