着る目的を意識してしまう襟つきの服 | せ*パ*ゾ*ン依存の同居人

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親と私だけの生活。家計と献立。せ*パ*ゾ*ンの離脱症状の経過報告。

 

襟がついている服、何枚お持ちでしょうか。

 

襟がついていると失礼がないような印象があり、持っていないと不安になります。そうかといって、気を張る場面もなく、着ないうちに古くなってしまうことも。

 

着ていく場とか、相手のことに気を遣わないといけないのはわかります。ただ、自分が「着たい」ものは別にあって、今の生活では着たいものを優先しています。もし、今とは違う世界に一歩踏み出すとしたら、持っている服を見直さないといけません。

 

服を買い直すことが、かんたんにできそうで、できないのは、まだ見ぬ世界に必要とされる服が何かわからないからです。そして、服を持っていないことを理由に、別の世界に行く資格もないという?自己嫌悪に陥ります。

 

ちょっと奮発して買い直せばいいだけ、ですよね。何回か試しては、違和感を感じたり、そもそも買い直す必要はなかったということもありました。服が、自分と場所の橋渡しの道具かのように期待していたのでしょうか。

 

服を着る行為が社会的役割を担うように、意識しないうちに何かをしていることが、ときに圧力と感じてしまうとき、ピエール・ブルデューの本を読み返したほうがいいかもとぼんやり思うのです。身なりを整えて、自己肯定感を高める練習をしながら。