去ることで守ることになった 住まいの選択 | せ*パ*ゾ*ン依存の同居人

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親と私だけの生活。家計と献立。せ*パ*ゾ*ンの離脱症状の経過報告。

 

 

感染に無防備な住まい

 

今の住まいの前、

 

テレワークできる住人がほとんどいない地域に住んでいた。

 

そこは、田舎の掟?のように、留守でないならいつも鍵を開けておかなければならない「謎」ルールがあった。

 

隣近所の女性が、「ごめんくださーい」とひと声かけ、子どもを連れて玄関先に入ってこられる。

 

ときどき、親戚の方々との、長い立ち話の場にもなっていた。

 

自治会と、その町が独自に設けている女性だけ(年配の女性が主導)のお楽しみ会の回覧板が頻繁に回り、

 

その会員は、担当となった場合、一世帯ずつ配布物を配らなければいけない。

 

配布物は、電子化できるものなのに、暑くても寒くても、その担当範囲を回りきらないといけない。

 

歩ける範囲ではあるものの、

 

高齢の方、体調が優れない方に対する配慮はなされず、元気な家族が代わりを務めるようにと半ば強制である。

 

心身ともに自治会員として役割を果たし、和を以て貴しとなす♪ノリが必要。

 

それは、自治会でなくても、どこかの組織にいれば、所属している人たちの幸せのことも考えなければならない、

 

お互いが気持ちよく接する大切さは、わかる。

 

感染に対する防衛

 

感染対策を念頭に置く今となっては、

 

上記の生活は、シビアなものがある。

 

私たちがその地域にいづらくなったのは、複数の理由があり、似たような事情を通院先の患者も抱えていた。

 

そのせいで、自分を責めてしまっていた。

 

だが、今となっては...

 

感染に注意して、人と距離を置かなければ「不注意な」行動になる。

 

怠れば、行動に対して責任を負わされるような風潮もある。

 

もし感染したら?

 

玄関の鍵を開けたままにして、公園のような自宅にしておくのが、その地域の暗黙のルールだとしたら...

 

感染したものが負い目を感じることに、違和感しかない。

 

「あの場所からここに移動してきてよかったよ」

 

感染者を報じるニュースを見ながら、同居人がつぶやいた。

 

去ることは、防衛だったようだ。