真崎明 監督ブログ

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2009年の真怪魚旗揚げ公演『小さな王子とよだかの星』の王子衣装を担当して以来、舞台衣装作りをはじめ美術、小道具制作や公演の受付を担当してきた川﨑スミ子さんが2022年3月9日に、肺がんによる8年間の闘病生活の末に永眠しました。

最期の時を迎えるまで、肺がんであることを親族や友人にも語ることなく、いつも明るく誰にでも優しく接していたスミ子さんは、身体が不調の時でも積極的に舞台公演の裏方スタッフとして劇団を支えてきました。

また劇団主催の『だるま体操』教室にも、やれば元気になるからと2021年の初夏くらいまで劇団員と一緒に稽古していました。

その後も体操(力禅)は、旅立つ半月前くらいまで一人稽古を自宅で行っていました。

スミ子さんは、子供の頃から写真館のモデルをやっていたり、学生時代は演劇部だったこともあり、「もう少し若かったら真怪魚の舞台にも立ちたかった」と周囲に話していたようです。

最後の最後までもう一度元気になるからと何事にも努力を惜しまず、起き上がれなくなってもさまざまな本を読み続けていました。

あっちへ行ったらすぐに、劇団を応援するから明るく家族に話していたと言います。

きっと小さな星の光となって劇団 真怪魚の発展をこれからも見守ってくれているでしょう。

川﨑スミ子 享年86歳

 

 

 

2021年10月20日父、久徳が新たなる世界へ旅立ちました。

79年の人生を、全力で生き抜いた生涯でした。

父は、生まれた時は、未熟児だったようで、親や兄姉からは、いつ死ぬかもわからないと心配されていたようです。

学校でも一番小さかった父でしたが、性格は正義感に溢れて負けず嫌いでした。

足の速さは地元でも一番と言われ、故郷宮崎の高校時代、県大会では上位入賞も果たしたことがあったのだそうです。

勉強は大嫌いでしたが、負けず嫌いが幸いして常に学年ではトップを競っていたようです。

家が貧しかった父は、親を助けるために大学には行かずに就職すること選びました。

妻駅(廃線となり今は無い)の駅長の白い制服に憧れ、父は国鉄職員になりました。

のちに、父は夢を実現して日豊本線、佐土原駅の駅長になりました。

佐土原駅は特急電車が停まるため、憧れだった白い駅長制服を着用することが出来ました。

晩年は良くそれを人に自慢していたものです。

駅長になる少し前のことですが、母が激しいぎっくり腰のために動けなくり、病院に行っても改善しなかったため、同僚に紹介された有名な整体師の先生のもとで母は瞬く間に完治しました。

父はその整体技術に魅了され、即座にその先生に弟子入りして、仕事が済ませた後や休みを利用して技術を学びました。

やがて治療技術を教えてもらった師匠よりも技術は向上して、いつしか地元で有名になり夕方になると駅長官舎に、身体を治してもらいたいという大勢の患者が並ぶようになりました。

父は患者さん達のためにもと国鉄を早期退職する決断をして、宮崎市内に治療院を開院しました。

やがて宮崎だけではなく、全国各地から治療に訪れる人が増えていきました。

私が父とタッグを組んで、東京は調布に『だるま堂療術院』を開院したのは、東日本大震災の直後、2011年5月でした。

父の力添えもあって、調布では間もなく、名の知られる療術院になってゆきました。

私は療術院の傍ら、劇団真怪魚や達真空手、体操教室を創設して、様々な活動を展開しましたが、父はそれをサポートし続けました。

舞台公演などは、特別なにも携わったわけではないのに、父はまるで自分が主催者のような気持ちになって入り口で観客の対応していました。

観客に、劇団のことを褒められると自分のことのように喜んでいました。

生まれた時から身体が弱かったこともあって、最後の四年間は心臓病、腎臓病、血小板減少症という難病などに患う闘病生活でした。

しかし、闘病生活にあっても一年前まで、患者の施術治療に専念しておりました。

治療の復帰を目指し、最期まで必死のリハビリを行っていましたが、脳梗塞となり帰らぬ人となりました。

患者さんの健康を第一として、通常通り『だるま堂療術院』の施術をするように、という父の意思を重んじてそのように普段通り施術を行いました。

大々的に葬儀などせずに家族のみで直葬という形でしめやかに執り行ってほしい、という父の思いに私たち家族は従いました。

しばらくしてから「小さくも楽しいお別れ会をやってくれれば、それで充分だ」と言っていたので、12月初旬に父の願い通りに開催するつもりです。

父は国鉄時代に仕事柄 日本各地を旅しましたが、晩年は母と共にたくさんの旅行をしました。

私と同じく音楽の夢を追いかけてきた妹を信じ父はサポートし続けてきましたが、妹も今では音楽で生活出来るようになりました。

父はやるべきこと全て成し遂げて本望だったろうと思っております。

他愛ないジョークを言うのが、父は大好きでした。

たいして面白くもないジョークでも、笑いに付き合って頂いた皆様にも深く感謝いたします。

この場を借りて、父とご縁のあった皆さま、ご交流をして頂いた方々に心より御礼申し上げます。

真崎 明。

 

 

 

 

 

 

 

 

スパイ物語『シリウスゲーム』以来、四年ぶりに新作の戯曲の執筆に取り掛かろうとしています。

しかも、『銀河鉄道に乗ったサギ』の続編です。

主人公『仁』と『優』の新たな宇宙の冒険物語になるでしょう。

前作は、オレオレ詐欺師だった二人が、命懸けの銀河の旅を通して、真っ当な人間に生まれ変わってゆく物語でした。

☆ その後、夢を追ってそれぞれの人生を歩んでいた二人だったが、世界的なパンデミックの発生により何もかもを失い窮地に追い込まれてしまう。

崖っぷちに立った二人のもとに、銀河鉄道からメッセージが届くのだったが・・

と、もうこれ以上は書くわけにはいきません。

企業秘密です。

すでに、執筆を担当する私の頭の中には、壮大な構想がめきめきと広がり続けています。

クライマックスのシーンやラストシーンが私の心の中では、何度も何度も上演され一人感動に包まれています。

私の場合、戯曲が上手く書ける時は、いつもファーストシーン、クライマックスシーン、ラストシーンがだいたい先に出来上がるんですね。

今回がまさにそれです。

戯曲が良く出来たと思う時は、公演も成功します。

だから、最初の構想は本当に大切だと常に実感します。

出発する時に、すでに勝利は決まっているのかもしれません。

それゆえ、新たな作品に取り組む時、構想を練るというのが大変です。

実に苦しかったりします。

チャップリンが『街の灯』のシナリオで、ヒロインが主人公の浮浪者を金持ちと勘違いするシーンを書くのに何年もかかったという気持ちは痛いほどわかる気がします。

構成が出来上がれば、いよいよ本格的に執筆です。

さぁ、コロナ禍の世界で希望の光となる作品作りに向け、いざ出陣です。

文ー真崎 明