任侠伝!?w | みやびあきら日々(妻の死と息子と高齢の母)

みやびあきら日々(妻の死と息子と高齢の母)

過去に浮気をやらかしてしまったシタ夫
再構築に努め20年が過ぎた頃に妻が癌で亡くなりました。
反省し続けた20年間の心情変化や気づいた事、妻を失ってもまだ妻を思い続けている思いなどを吐き出してます。

さて、波瀾万丈家系図シリーズの、みやびあきらです。

今度は母方の家系。

みやびの祖父、母の父にあたる人の出身がややこしかった。
みやび母は京都のど真ん中の家系。
みやび母の父は、みやび母の祖父(みやびの曾祖父?)が引き取った養子だったらしい。
で、みやび母には父方の祖父は居ても祖母は居なかったと。
(居たかもしれないけど、母が物心ついたときにはお婆さんは居なかったらしい・・・死別か?離婚か?)

ここにも3文小説バリのドラマが!w

みやび母の父方の祖父は、ぶっちゃけヤクザもんだったらしい。
・・・と言っても昔(明治~大正)の頃の事なので、
祭りを仕切り、店のみかじめを取り、町のゴタゴタを解決したり火消しなんかもする任侠ヤクザ?みたいな事だったらしい。

母が覚えている母の祖父は金遣いが荒く、羽振りが良いと思えば超貧乏に、
かと思えば、また超羽振りが良くなって・・・とはちゃめちゃな独り身生活だったとか。
ただ・・・金がなくなると、祖母(みやび母の母)の着物を勝手に持ち出して質に居れたりするクズだったと。
しかし祭りになると、幼少期の母は御輿の一番良い所に乗せられたり、
曾祖父と祭りに行けば、タダで何でも食べさせてもらえた事もあったとか。
(テキ屋のドンだったのかも?)

で、祖父の養子の理由ってのがこれまたね・・・
母の父、みやびの祖父ですが、巨大湖県の名家の旦那の隠し子だったらしい。
旧名家で教職(どこかの校長先生?)なのに浮気の末出来た子供だったが、(良く解らないけどお女中との子?)お家的に認められずに認知されず追い出されたらしい。
で、母親はどうなったか解らないが祭り元締めヤクザ?な曾祖父に託された子供らしい。
(みやび母談による)
祖父は京都下町で小間物大工として生計を立てており、とても真面目な人。
やっぱり血なんですかね?母から聞いた事のある曾祖父の様な粗暴な所は一切無い人でした。
みやびが3歳の時に亡くなっていますが、長火鉢を前にキセルでタバコを吸ってる様をなんとなく覚えています。

※キセルに葉を摘めるのではなくて、キセルに紙巻きタバコを刺すんですよw※

(画像は借り物です)

結局曾祖父は、母が小学校にあがるかどうか?ぐらいの時に亡くなったみたいですが、母も小さかったので死因は解らないが酷く質素なお葬式だったとかで、ろくな死に方はして無さそう?みたいに言ってました。

曾祖父がどれぐらいの規模のスジ者だったのかは解りませんが、
これまた落ちぶれることなく繁栄した組だったら・・・
ソレこそややこしい血筋だったのかも?

もしくは、祖父が旧名家で認知され里子にだされる事がなかったら?
ええとこのボンボンになれてたかも?

ま・・・本妻の子ではなかったから、どっちみち干されてるでしょうけど。

と・・・なにげに昨日の父や、母の家系はちょっと特殊だったみたいです。

あと・・・祖父は小間物大工として良い所の仕事もしていたらしく、
天皇陛下から勲章を頂いたこともあるとかで、みやびの祖母から勲章を見せられた事もありました。
・・・ま、皇室御用達とかではなくて、公務員さんや職人さんには功労勲章?が授与された事が大正~昭和初期には良くあったんですね。

たぶん、こんなやつだと思う。
ネットで調べたら・・こんなのが

https://www.jacar.go.jp/seikatsu-bunka/p04.html

今はその勲章もどこに行ったか解らないけど、祖父の形見の大工道具は今でもあります。
前にブログに載せた事あるヤツです。

https://ameblo.jp/akiramyb/entry-12330965225.html

それと・・・祖父が小間物大工になったのは、京都の母方の親戚筋に、裏千家御用達の大工の一家があり、祖父はそこで修行をして独立したらしい。
みやびが小学校低学年ぐらいまではよく遊びにいってて、
本当にテレビで見るような町屋作りで奥の作業場で鉋引かせて貰ったりしたのを覚えています。
たしか・・・御所から歩いて5分ぐらいの所だったと思う。
たぶん・・・祖母方の本家だったんだろうな・・・

ま、けっきょくみやびけには何も引き継がれてないんですけどねw