パパの国から26日に戻った息子は、、

いつもより少しお疲れモードでした。


いつものように二週間以上の長期滞在とかではなかったので ゆったりとしたスケジュールではなかったので きつかったのでしょう。

でも ずっとずっと約束してた
サッカー試合を観たくて  どんなことがあっても観たいと、、

そして イギリスに行ってしまう友人にどうしても会いたいと


それを叶えてやりたい一心でした。


その後は 燃え尽き症候群ぽくなり


なおかつ

左腕が動かなくて

足元もフラついて

念願のリベンジの夏祭りも 腕の不調もあり 諦めました。


その後

 思うように身体が動かなくて イライラがつのり
私にあたってくるようになりました。

私も それを大きな気持ちで受け止められなくて
ブチキレちゃって、、

でも でも 息子には私しかいないから
やっぱり 悔しいけど私にたよるしかなくて、、、

ジレンマと葛藤 苛立ち、、、


行き場のない怒りと憤り、、、

辛かったと思います。



でも 昨日もおとといも テレビを観て 一緒に爆笑したり
美味しいもの食べに外出したり
笑顔も沢山ありました。



それもつかの間、、、



今日 MRIで

朝ごはん食べて

車に乗って、、、


いつもと違って 助手席ではなく 後ろに乗って

ずっと思い詰めた様子で


大好きなワンオクも 消してくれと、、



私も 何故か声かける気になれず
運転しながら 油断すると涙が溢れて

何となく 何となく 息子の心境を理解していた。
いや、、、本当は 同じ気持ちだった。


左腕が動かないので 
シャワーも 着替えも介助が必要となり
ちょっと前まで スタスタ歩いてたのに バランスが取れなくて 段差もこわくなって、、、

最近 色んな意味で調子が悪くて、、


だから 今日は 去年の8月28日以来 大学病院で車椅子に乗らなければなりませんでした。

ちょうど去年の8月1日から放射線治療が始まり、後半は 髪の毛抜けたり 唾液腺やられながらも
少し腫瘍が小さくなったことで 髄液の流れが良くなり 突然歩き出して 鼻唄歌いながら一人でシャワーが出来るようになった 8月28日。


9月8日退院の日は 全く車椅子使わずに 病院のエントランスを後にして

その日から ついこの前まで 自分の足で歩いて 受付も済ませて 駐車場からエントランスまでも しっかり歩けていた。

だから 今日 病院に着いて 車椅子に乗らなければいけないことが 息子のメンタルもモチベーションも 未来もズタズタにしてしまった。




車椅子に乗って あそこにいる景色と自分の足で しっかり踏みしめて歩く景色は天と地ほど違うだろう。


車を運転しながら 病院に着いた時のシュミレーションを各自が 思い
受け入れられなかった、、、、


そして 受付を済ませ
MRI室に向かった。


着替えをもらい 更衣室の扉を開けた時

息子は 振り絞って 私に言いました。

「もう 全部疲れた。 もういい。どうせ 今日のMRIの結果は良くないよ、、、着替えるのも 造影剤も MRIも、、 俺は今日は やらない、、、
ママ、、、 俺は精神が狂った訳じゃない、、、もう嫌なんだ。 去年の俺は 今年の夏は元気になってると思ってた。でも違う。 ずっとポジティブに思ってやってきたし 我慢もした ママも沢山色々やってくれて 色んな人に寄り添ってもらって 嬉しかった。 でも でも 俺は もし 注射一本で死ねるなら死にたい。こんなこと言ってごめん。でも これが本当の正直な俺の気持ち。 今日は絶対にMRIは受けたくない。 自分で先生に言うから 先生のところに連れて行って欲しい。 興味のあったファッションも シューズも もうどうでもいいんだ。

僕は 友達みんなに 俺の分まで頑張ってって伝えたら あとは天国で見てるよって そうしちゃダメかな。
その方が自分も楽だよ。
こんなこと言って本当にごねんね」




私は 、、、いつかこういう日が来るんじゃないかって 思っていました。主治医にもいつか行き詰まり苦しむ時が来るんです。
だから ある程度告知すべきだと。

でも どうしても 言えませんでした。

車の中で それがもしかしたら 今日なのかもしれないとも 感じていました。


でも よく吐き出して 言ってくれたとも思いました。





ずっとずっと 「普通になりたい」

ってそれだけを願い


頑張ってる友達をみて 「俺も」って思うのに
できない

せっかく好きな子が出来たのに 9月にもし学校に行けたら その時は車椅子、、、 運動会も始まる。。。


学校に毎日行きたくても 体力が続かなくて


友達と会いたくても みんな もう受験勉強が忙しくて

頑張りたいのに 気がつくと置いていかれてる気がして 焦るけど 何も出来なくて、、、


沢山の人達が 息子の笑顔を作ってくれて
どんなにか恵まれているのに
やっぱり一人になると これからの自分のこと考え込んでしまう現実。


ママしかいないのに この前 喧嘩して、、、
家出したくてもできない自分、、、
自暴自棄にならない方がおかしいのです。




息子の気持ちは痛いほどわかるので、、、
受け入れました。

MRIの先生に事情を話しました

「すいません、、本人がメンタル的に 限界にきています。今日は とてもじゃないですが MRIを受けれる状態ではありません。ご迷惑をおかけしますが キャンセルさせて下さい」

私も嗚咽になってしない、、、それが精一杯で、、、


でもすぐに 
「わかります、、、わかります、、、無理しないでいいですよ、、僕から主治医に伝えますから
診察室の前で待っていて下さい。きっとお話聞いてくれると思いますから」


と。



程なくして 主治医に呼ばれ


いつもより何倍も何倍も 息子に寄り添ってくださり 息子の気持ちを受け止め 
当たり前の気持ちだよと 息子の意思を肯定し  MRIも受けたくなければ無理しなくていいよと、、、


息子は
「僕は精神が崩壊してるわけじゃなくて、、、どんな人でも 僕のようになったら 同じ気持ちになると思います。 」


そう言いました。


自分の身体の不具合を的確に説明し 主治医の質問にもはっきり答えていました。



主治医は問診し

「ちょっとの間 ステロイドを増やしてみようと思う

気持ちもスッキリして もしかしたら 脳の浮腫みから来てる不具合もあるかもしれないから それにも 良いと思うんだ 飲んでくれるかな?」

もしくは 点滴で少し改善出来るかもしれないから それも考えているよ、、、と
(多分アバスチンのことだと思います)



息子は首を縦に振りません。


でも渋々 「わかりました」

と言い


診察室を出た後に

「ママ 俺は ステロイドは飲まないから。 俺はオイル(デュイール ) しか飲みたくない。それ以外の
お薬(メベンダゾール) も飲まない。俺のことは俺が決めるから」


と言いました。



息子は時折言います


「オイルだけ飲んでた 3月、4月、5月 の体調がすごく良かったのを覚えてる だから もうそれでいい それ以外のお薬もMRIも もう必要ない」


と。


病気が発覚した頃は 何が何だか分からず まな板の上の鯉だった 息子
自分の置かれてる状況が把握出来ず もう少ししたら良くなるってずっと信じてた息子


頑なに告知をせず 現実を伝えなかったことで できた歪みもあったと思う。


私なんかが思うより 
息子の見てきた景色は壮絶で、、、苦しくて
そしてこの一年で 私の想像をはるかに超えて 息子は成長していたんだと 。
今日 主治医にはっきり 自分の思いを伝えていた息子は別人でした。



主治医は
近いうちにお母さんだけで一度来てくださいと、、、

沢山話しましょうと

そうおっしゃって下さいました。



息子が病気になり
今日が 一番泣いた日かもしれません。

こんな残酷な状態で 「生きて 」と思うのは 親のエゴになってしまうのかと、、、 自責の念にかられながら 、、、泣くしかありませんでした。










なぜ 弾丸で パパの国に行ったかと言うと



息子は 中村祐人選手の サッカースクールにお世話になっていた事がありました。
息子が病気になってから  どこまでも寄り添い続けて下さっていました。
その祐人さんが 親善試合で マンCと戦う事が随分前から決まっていて それを応援するのが一つの目標でした。
先日 ゆうとさんが マンCのデブルイネと戦って
すごく活躍したのを何よりも喜んでいました。
蒸し暑い中 90分強 よく頑張って応援できたと思います。







祐人さんは 日本人から香港人に帰化して
お世話になった香港に心から感謝して 香港でプレーし続けています。
もし香港の監督が声かけてくれなければ とっくに現役を退いていたと。今でも現役でボールを蹴ることができるのは 香港のおかげだと。
小さい頃からの日本代表夢は叶わなかったけれど 
いつからか 僕のもう一つの夢は 香港人に帰化して香港代表になるという事に変わりましたと。


香港代表になった 中村祐人選手の生き方 
息子が一生懸命読んでいます。



試合直後に息子の席まで来てくれて泣




翌日は 奥さまと 我が家に 記念のユニフォームをプレゼントしに来てくださいました。



貴重な ユニフォーム
惜しげも無くくださいました。


そして


イギリスに家族で移住したJ君

7月23日に会った後
スマホの待ち受けが変わってたと Jママが教えてくれました。 泣

4年生の時 試合で対戦して 憧れのJ君を必死で止めようとした 息子です。
昨日たまたま ママさんが見つけて 画像送ってくれました 泣

その二人が

こんなお兄ちゃんになって 



思い出を沢山語って ハグしてお別れしました。



このミッション2つが 今回どうしても 育った国で 息子がしたかったこと。



次のミッション
ママにまた リクエストしてよ 泣

ママにもう少し あなたの為に頑張らせて下さい。