8月1日から9月7日まで
放射線 IMRT リニアック
1.8グレイ × 28回 合計 50.4 グレイ

最初の二週間は通院で だんだん副作用が出てくる後半から入院と計画していました。

しかし 7月末の頭の重い感じと 車の振動が嫌だということで
本人の希望により 初日から入院となりました。

主治医からすれば 一ヶ月延期した放射線治療です。


そしてドクターから最終確認

「同時にテモダールの処方はどうされたいですか?」


私は答えました、、、「いたしません」と。


ダブルの副作用は受け入れられませんでした。
もともと 効果のあったエビデンスが無いのなら
一つずつでいい



テモダールの事は あとで考えればいいと

そう思いました。






私がこの放射線に踏み切りたくてもなかなか踏み切れなかったのは


息子の生検の結果 びまん性星細胞胞腫 とわかり

いづれにしても あまり効果が無いとされていて

そして 治療後にハネムーン期という 小康状態が何ヶ月が続き その後 再発、憎悪、播種が起こり 全身の機能を失いながら その日を迎えると、、、

本来ならば 腫瘍を手術で取り除き 取り残したかもしれない見えない細胞を 念のため放射線と抗がん剤で叩きのめす、、、放射線は 補助療法なのだ。

しかし息子の場合 手術ができない場所、、、
まるまる腫瘍がそこに残っている
しかもびまん性、、、 腫瘍の塊というより 浸潤している はびこっているタチの悪いがん細胞であるわけで。そしてこの細胞は 放射線にめっぽう強い耐性があると、、、

ケースによっては 小さくなるどころか 大きくなる事もある と知ったから。

ということは この放射線という切り札のスイッチを押すことで 凶と出るか吉と出るか、、、
そして ハネムーン期がどれだけなのか、、、 誰もわからない。
「播種」「憎悪」それにいつも怯える日々が続く。

そのスイッチを押す日を 母親の私が決めることになる。

放射線の施術は たったの1ー2分

痛くも痒くもないと息子は拍子抜け、、、

「ママ これで本当に効くの?」

と疑心暗鬼にさえなっていた。

しかしそのたった1ー2分の毎日の積み重ねが、、、 後半二週間のダメージに繋がる
土日は無いので 毎週 金曜日から外泊許可をもらい 実家で過ごした。
付き添いのベッドで背中や首がしんどいので 土曜日は 整体とマッサージで 翌週に備えた。
息子とドライブして 気晴らしもした。

しかし、、、

放射線18回目ぐらいから ついにその日がきた。。。

息子の枕に 抜けた髪の毛が沢山、、、、
一番ひどい時は 枕は中央は 黒色でした。



本人よりも 多分私が一番ショックだったかもしれません。

用意していた ガムテープで 掃除する私をみて

「ママ 面倒だから 全部シャンプーの時にむしって取っちゃってよ そうすれば もう掃除しなくていいし 俺 帽子あればいいからさ」

と、、、


抜け始めの頃 
頑張れば隠せました。





息子は思ったより気にせず
それよりも、、頭の辛さが無くなって、、
その嬉しさの方が勝っていたようです。



私は泣いてばかり、、


なんだか私の方がダメじゃん、、、
全然ダメなかぁちゃんじゃん。

って思いました。