息子は最初に 私立の病院で検査入院をしました。

しかし その医療費はアメリカ並みに高く
医師は病院を間借りしてるだけなので 複雑なケースは すぐに政府の病院に紹介状がでて 移されます。



政府の病院のドクターレベルは非常に高く 最新の設備と 24時間体制でのケア が可能となります。
日本で言う国立大病院です。


入院が長くなるかもしれないと感じ

私立の病院から政府の病院に移る時に わがままを言って 自宅に一度帰らせてもらいました。
元気だし 2泊入院しただけでも 弱るし、、、
一旦家でゆっくりさせたい一心でした。



政府の病院は 私立の病院のように 綺麗ではなく
殺伐としていました。

セントラルエアコンで どんなに冷房が寒くても 温度上げることも出来ず 付き添いの親は 夏でもダウンジャケットを着ていました。

ホスピタリティは皆無



ここずっといて この景色をずっと見ているわけにもいかない、、、

言葉も 医学的な専門用語が多く 今ひとつ理解できず 自分で 日本のドクターに尋ねたり 調べたりしながら 模索していった。

このままじゃ 精神がもたない




そして 政府の病院に転院した先は、、、
子供ICUの部屋だった。

実は 他の病気も疑ってみようと 
3種の検査が行われ
もし 脳腫瘍だと確定した場合は 脳幹の腫れを懸念して もしそれが延髄まで進行したら呼吸が止まってしまうかもしれないと、、、
様々なケースを想定し ICUだとのこと。

それまでの私立の病院とはうってかわって

両親の面会は昼の12時から

入室前に防護服とヘアキャップ マスクを着用

入ってみると

息子の身体はチューブだらけ

目元から枕に涙が溢れていた。

「ママ、、、なんで?ぼく元気なのに どうして?」

私もただただ茫然と立ちすくむしかなかった、、、


そして食べることが大好きな息子、、、
検査のために 3日間の絶食、、、
それも息子にとっては 地獄だったと思います。


周りを見渡せば、、、

息子以外は意識のない お子さん達

隣の小さな意識の無い赤ちゃんに
毎日毎日 フランス人のパパさんが 絵本を読んであげていました。泣


元気で意識のある息子には 全ての光景が目に入ります。


このチューブ繋がれた 5日間

ここで 息子は かなり弱ってしまいました。






息子が初めて言いました

「ママ、、、日本に帰りたい、、、」と。


そして3種の疑われた病気は全て陰性。

息子の病名が確定したのです。


突然 

「病棟が変わります」


となり、、、、


新しい病棟は

「血液 腫瘍 センター」

要は 「白血病&がん病棟」


その病棟に車椅子で押されていく道すがら、、、

すれ違う患者さんの多くは 帽子をかぶり

どのエレベーターに乗っても 「癌病棟」という文字ばかり、、、

幸い息子は ずっと スマホをいじっているので、、、 あまり周りを注意深くみていませんでした。

15歳までは小児病棟で 4人部屋のお部屋を 息子一人で使わせてもらうことになりました。 


そこでもやはり 凄まじい光景と景色が 私と息子の 精神を追い込みます。