今の私の目標――奇跡を信じて!

「マスカット球場にいつか野球を観に行く」という私の目標は、二〇一九年五月、兄弟、息子、娘、甥、義姉、義兄など皆さんのお陰で実現する。



高校野球岡山県春季大会準決勝戦を観る事が出来た。兄が事前に球場関係者に連絡してくれ、呼吸器用の電源などを確保、準備万端だった。高野連の方が出迎えて挨拶をして頂き、偶然にもその方のお父さんもALSだった。「大変でしょうが希望を持って頑張ってくださいね。」と。本当に励まされ色々本当に良くして頂いた。一時間くらいだったが凄く楽しい時間だった。まだ足にその時の日焼けの跡がある()。次はプロ野球を観に行くのが一つ目の目標。あと五つの目標がある。


二つ目の目標…二〇二〇年の年賀状に書いた、今年の目標、短時間でも自宅に帰る。新型コロナウイルスの影響で面会禁止が続いており今年は諦めた。出来れば泊まりで帰りたいが、先ずは短時間から始めて徐々に慣らしていきたい。


三つ目の目標…香川の実家に日帰りで帰りたい。玄関にスロープも出来、車椅子も問題ない。お墓参りもしたい。母も入れて記念写真を皆で撮りたい。


四つ目の目標…第二の故郷宇部に帰りたい。なかなかハードルが高いが、義姉二人も看護師さん。江澤理事長の宇部記念病院にもその折は病院を通してご相談してみようと一人で妄想している。


五つ目の目標…何処か母校、もしくは『おやじの会』西阿知小学校で、命をテーマにした講演会をしてみたい。当時のメンバーともお会いしたい。


六つ目の目標…前田が幹事の高瀬高校同窓会に出て、皆さんに直接寄せ書きやビデオメッセージの御礼が言いたい。元気な姿を見せたい。



2020年1月2日に開催された同窓会にて


他にも山ほどある。正直言うと六つの目標は、どれもかなりハードルが高く家族や兄弟他皆さんのご協力が必要で何年掛かるか分からない。でも私は『挑戦』したい。自宅療養した時の為に受診した病院では、呼吸器を付けた場合平均十年と言われた。でも呼吸器を付けられた方を見せて頂く為に訪問した病院では、呼吸器を付けられ二十年以上の患者さんもおられた。その患者さんは私とほぼ同じ歳で発症。奥様から「大丈夫ですよ、希望を持ってね。」と。本当に励まされた。私は絶対に治ると信じている。iPS細胞の研究が進み治ると信じている。食べる事が大好きな私は、毎日美味しい物を食べている夢を見る()。夢の中でも病気という事は少なくなった。いつでも食べる事が出来る様に、一週間に一度12ccの炭酸水などをシリンジで数滴毎飲む練習をしている。今の医療では一度人工呼吸器を付けると外す事は出来ない。医療は日進月歩。生きていれば必ずいつか外す事が出来る日が来ると信じている。やってみたいのがボランティア活動。同じ病気で悩んでおられる方の何か力になれる事をしたい。例えば、人工呼吸器を付けるか迷っておられる方に、ご希望があれば病室に来て頂ければ生の声、姿を見て、聞いて頂いて判断をされるまでお手伝いをしたい。色々ここまで経験した事をお伝えし、私なりに早く準備しておいた方が良い事なども話したい。

今特に思うのは、意思伝達装置「伝の心」は出来るだけ早く導入した方が良いという事。

「伝の心」=最後の砦=寝たきり、という先入観があり、自分はまだまだipadで大丈夫!と思っていた。正直言うと病気の進行を認めたくない自分がいた。私の場合、喋り難さから来たので音声で言ってくれるので私の身代わりと思ったら、「伝の心」があればレスパイト入院も楽だったと思う。そんな自分が凄く後悔している話など余すところ無く伝えてみたい。

ただ、人工呼吸器を付けるかどうかの判断は本当に悩む。付けないと決めていても苦しくなり、付けられる方も多いと聞いた。『ALSは難病中の難病』と言われるのがよく分かる。幸いにも私は治験も受けられ、ラジカットのお陰で少し動く足で「伝の心」が使える。人工呼吸器を付けての入院では、ここではとても書けない、書き切れない本当に辛かった事もあった。全てを受け入れて前を向いて生きて行きたいので、敢えてその内容はこの誌面で書くことは控える。色々な経験をした事は、倉敷スイートホスピタルに入院させて頂く為に必要だったとプラスに考えたい。

看護師さんも十人十色。殆どの看護師さんには今まで書いて来た様に本当に献身的なケアをして頂き、心から感謝している。意思疎通が上手くいかずそれがお互い嫌な思いをする事もある。例えば、私はクローゼットに夜勤の時お願いしている事を貼っている。それだけでコミュニケーションの取れ方が凄く楽になる。後は説明書と文字盤があれば何の問題もない。そんな経験をボランティア活動としてお役に立てたいと。倉敷スイートホスピタルでは何かあれば相談できる心強い看護師さんがおられる。家内によく言う事がある。

「病気になってからも良い人に恵まれてここまで生きて来られた。これからは少しでも社会に恩返ししたい。」と。家内も全く同じ事を思っていた。家内には本当に頭が下がる。家内だから生きる選択が出来たと思う。社会貢献の為、体が動く限り私が出来る事は、喜んでご協力させて頂きたいと思う。この病気になっても誰かに頼りにされる、お役に立てる事が何より嬉しい。