いよいよハロウィン
Ⅱの10作品目、ラストの作品である。
もう9作品のまりこを描いてる段階で、10作品目の鈴代から写真とライフストーリーがなかなか送られてこない。
鈴代は重度障害者施設を立ち上げ、児童相談所から依頼されたこの入院に付き添い、一人で5人分くらいの仕事をしている。
やっと写真だけが送られてきた。
むっちゃいい笑顔だ。
こんなすごい笑顔を作れるのはただものではない。
じゃあ何者なんだよ!?
そこで大親友、くみこが代わりに鈴代のライフストーリーを送ってくれた。この友情に感動したね。
鈴代は1967年9月24日に徳島県で出生、一人娘で両親からはとても可愛がって育てられる。
若い頃は同級生の中でも妹的な可愛らしい存在であり、20代に付き合っていた同級生の彼氏(後々結婚した相手)をお兄ちゃんと呼ぶほど甘えん坊で今のような肝っ玉母ちゃんみたいな鈴代になるとは誰も想像していなかった。
(これは本来、鈴代から伝えたいことだと思うが)離婚したご主人とは愛知県で結婚生活を送っていた。ご主人はコックでありオーナー、レストランを経営していた。
(がバイトの女にすぐに手を出してしまう。ある時、鈴代が徳島の実家から娘3人連れて帰宅したら、旦那が女を家に入れていた。)
鈴代は、3人の娘を引き取りシングルとしての人生を歩み出すことになる。娘3人まだまだ手がかかる頃であった。
鈴代は、私と同じく保育士幼稚園教諭の資格を持っていますが、鈴代は福祉関係の勉強を始め、いくつか専門的資格を取っていった。
児相の一時預りや里親の相談担当や、わらべうたのベビーマッサージなど多くの事に精力的に努力していった。そういった分野の講演会などにも呼ばれていろいろな所で講演会もしてきた。
しかし、病とも何年も向き合ってきた。昨年、中園慶子さん主宰のAKIRAさんと古市さんのライブは奇跡の出逢いが待っていた。
鈴代はその時、肺がんの発病をしてばかりで心身ともにどん底だった。私も阿部よしつぐさんからAKIRAさんを知り、いつかライブにいきたいと思っていた。
鈴代はライブ中、ただただ静かに涙を流していた。何かその姿はとても深い重いを感じました。鈴代の性格は、思い付いたら直感的に動く人ですからAKIRA ライブに繋がったのだと思います。
自分がお金が全然ないのに困っているひとにその時に出来る限りの助けをすぐにする。
お店で学生がラーメンを分けあって食べてるのを見ただけでお金出してあげたくなると言う人、心根が優しくて人助けのために生きているようなひとである。
生き急いでいるかのように常に動いているので、友達はみんな心配している。
そして、自分の事は心配かけまいと心身ともに究極に落ちるまで誰にも言わない(笑)
御両親のことについては、ストレートの血縁ではなく事情があります。しかし愛されて育ったことには間違いない。
今まで、社会福祉事業や子育てに関わる様々な役目を次々と果たしてきたが、この辺で自分を愛する事もしても良いかと思う。
鈴代自身を今までよりも大事にしてもらえるように、その為にAKIRAさんと出会えたのだと思っている。コロナで入院した時に息が出来ないくらいに重症化して入院した時に、あまりにも症状が重くてレントゲンを撮ったら、肺がんがわかり、2ヶ月後AKIRAさんとの出会いが待っていた。
これは用意されていたに間違いなかったと思う。赤ひげ堂へも導かれたんだろうな。人生で、何度も何度も裏切られては事実を受け止めて、人を憎まず歩んできた鈴代へのご褒美なのだと思う。
もうあまり背負わず、自分を責める必要もないよ。自己犠牲からの卒業をして、鈴代(笑)
鈴代は愛知県に娘三人がいますが、4年くらい前に鈴代だけ奈良県に転居しました。
娘たちとは母子家庭の生活の中で反抗期も壮絶だったらしい。
今は良い関係になっていますが、愛知県に居るより距離をとってそれぞれに生きてから良くなったと。
鈴代は昼夜問わず深夜でも、どこでも車をかっ飛ばして愛知県や徳島や東京やらどこまでも行ってしまう。ドライブインで何度寝泊まりしたことでしょう。
私の息子が香川県で闘病生活していたときも、愛知県から車を飛ばしてきてくれました。そのあと、実家の徳島の山道もかっ飛ばしていく、すごい人で、よく今まで死ななかったとみんな言います(笑)赤ひげ堂も車で来ようとしていたので、お願いだからやめて、と言い、そしたら、夜間の高速バスで来てました。
そうなんです。30年以上の友達の中では、鈴代は強烈!と言われてます。しかし、反面とても繊細で気遣いのひとです。だから多くのひとに愛されるのだろうと心から尊敬しています。
オレが「鈴代のガンが消えて、我が事のようにうれしい!」と書いたメールの鈴代の返信。
AKIRAさん
うれしくてうれしくて
こんなにいっしょによろこんでくれる人がいることが。
どこからお話ししたらよいのやら。。。
平成25年の暮れに乳がんが見つかりその1ヶ月後年明けに全摘手術と言われました。
その時、離婚をして子どもを育てるために必死の毎日、いくつも仕事をかけもちしておりましたのでついつい口から出た言葉が「どれくらいお金かかりますか?」にドクターは唖然としていたことだけ覚えています(笑)
その後、温存手術をしましたが石灰化したものがたくさんあったとのこと。3ヶ月後に再オペ。それから7年治療して昨年の12月で再発もないことから治療を終えましょうとのお言葉に安堵していました。
今年の8月にコロナになりました(ちなみに私はワクチンを一度も接種していません)
一気に40度の高熱でしたが実際は自宅でいて受診していません。
その時、愛知にいます孫を預かっていたのですが、その状態に娘に孫を迎えにきてもらい愛知へ。
その孫が翌日発熱で受診したところ陽性であったため、「あー私もコロナなのね」ていうものでした🤣
その1ヶ月後9月24日誕生日の夜からまた40度の高熱、いくらでも我慢ができてしまうので寝ておりましたが、呼吸ができなくなり保健所に連絡、重症化しているため即入院となりました。
その際CTでコロナからの肺炎は確実でしたが、高熱でしんどくてまだ病着にも着替えられず横たわっておりましたらドクターごまいりまして「コロナ陽性は間違いありませんが
あなたは肺がんの確率大です」ガーン❗️チーン❗️でした。
看護師さんが後から、先生の突然の言葉申し訳ありませんとお詫びに来られました🤣
いえいえ。コロナにならなければ見つけていただけなかったこと感謝です。
そして、10日間の入院ののち退院しましたが後遺症の咳とだるさが半端なく日々家に横になる毎日でした。
その頃、吉永くみ子から大津でのAKIRAさん古市さんのライブに誘ってもらいました。
幼少から今日まで山あり谷あり、谷しかないやん!と思うばかりの日々でしたが、もうライブでは目を瞑り溢れる涙を拭うこともなく心に響いて。
終了後、AKIRAさんにお話しさせていただき『赤ひげ堂』を教えていただきました。
何も欲しいものはなく、この生かしていただいた命を大切に生きたい!
その思いだけです。
9日、10日と赤ひげ堂で治療していただき出してもらったものを毎日飲みました。
おっしゃる通りにしようと。。。
AKIRAさんにも話したように、抗がん剤や点滴薬ではなく雑に体を使ってきた私の責任。
神様が与えてくださった本来の体にもどしたくて。
夢である海外の一生懸命に命に向き合い、その土地ところどころで祖先を大切に思い生きている人たちに出逢いたい!
AKIRAさんに出逢わせてくださった神様に心から感謝の思いでいっぱいです。
この絵は礼子&高子のバックと同じ街、メキシコのアジェンデ(san miguel de allende)である。アジェンデは世界一カラフルな街として有名で、町中に花があふれている。
中央のカテドラルの後ろのドームと鐘楼を礼子たちとは反対側の角度から描いた。
ピンクベースのドームに青を加え、黄色ベースの鐘楼に緑を加えることによって暖色と寒色が引き立て合う。
夕暮れ前の空は紫になずみ、雲が黄色く輝いている。
でこぼこしたドームと鐘楼とは対照的に空をなめらかに描くことによって、スケールの大きな画面になった。
2階にも花を増やしたかったので、両側の家にバルコニーを描き入れた。
坂道の遠近法(パースペクティブ)が複雑で、消失点(バニシングポイント)が一軒ごとに下へずれていく。
ストリートのショップやカフェにはメキシコの国旗が下がり、左下の黄色い車がX構図を補強する。
実際はドームと鐘楼の前に壁があるのだが、奥行きを出すためにとっぱらい、公園の入り口にした。
フェンスには子供用自転車がとめられている。
くみこから鈴代のライフストーリーが送られてくる前に、3人のハロウィンキッズは描きはじめていたので、鈴代にはちょうどこの年頃の3人娘がいると聞いて、これも素敵なシンクロである。
「Trick or Treat」(いたずらか、お菓子か)のハロウィンバケットをもち、一番小さい子はキティちゃんが包帯でぐるぐる巻きになったハロウィンバージョンのバッグを首から下げている。
この子たちのちょっと不安げな表情がたまらなく愛くるしい。
鈴代のシャネル風の白いドレスに12個の金属製ハートやガラスビーズが縫い付けられている。
たくさんの人の心を救ってきた鈴代の勲章だ。
白い房のついたネックレスの中央に小さなAKIRAサインがあり、太陽と月のお守りになる。
ハロウィンメイクはひたいにグアダルーペのマリア(マリア様が浮き上がったという聖なる布)が手を合わせて、鈴代と家族や仲間の幸せを祈っている。
目の花は淡いレインボーで、明るい未来の象徴。
ほほのつる草は、自然界の象徴。
あごの目のついた手は、ハンドマッサージやたくさんの人に手を差し伸べてきた愛情の象徴だ。
何より鈴代の笑顔がすばらしい。
ライブペインティングを見た娘たちが「やせてる!」と驚いていたそうだが、この絵にはダイエット効果も隠されているのだ。
鈴代がこの絵を毎日ながめていると、絶対この絵のサイズになると予言しておこう。
豪華絢爛な色彩とデジャブのようなノスタルジー、思わず微笑んでしまうユーモア、神聖なドームと鐘楼、広大な自然と人々の生活の共存、鈴代の幸せそうな笑顔、そのすべてが1枚の画面に融合したラストの傑作だ。
動画1 すずよのライブペインティング
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1605732409840012&id=100000789583722
動画2 すずよのハロウィンメイク&解説
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=577487520993309&id=100000789583722
ちょうど1月1日から描きはじめ、3月13日まで72日で10作品。
雑務を引くと1作品が5〜7日という驚くべきスピードで描いたことになる。
よくがんばったオレ。(笑)
20本の動画配信もこれで終了である。
いっしょに楽しんでくれた人たち、コメントくれた仲間たち、ありがとう!
4月に帰国後のAKIRAライブで会おう!
12月にアルバムの10曲を作り、1〜3月で絵を描き、残り1ヶ月で本を書く。
アーティスト3人分くらいの仕事をしてるなあ。
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