ハロウィン肖像画シーズンⅡ-4 なっち | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。



この絵ではとんでもない奇跡が起こった。

オレは何も知らずに選んだ背景のステンドグラスのモスクへ、なっちと娘の姫は4年前実際に行っていたのだ!(なっちの事情で国名は伏せます)
この国やそのモスクへ行ったへ日本人はほとんどいない場所なのに、オレは35年前にいき、なっちたちは4年前に行っていた。
ハロウィン肖像画のモデルとなった荒井憲子は「AKIRAさんはその人のハイアーセルフとつながって絵を描いていると思う。描かれながら過去のトラウマがどんどん癒やされていくのを感じた」と言っていた。
しかし無数にある背景の中からこのモスクが選ばれることは、宝くじを100万回連続当選するよりも少ない確率だ。
やはりなっちの0ポイントフィールド(全記憶の貯蔵庫)にアクセスして、ここが選ばれたとしか思えない。



なっちに送ってもらったライフストーリーは長いかもしれないが、大河小説のように魅力的なので、そのまま載せさせてもらおう。

私は鳥取で長女として生まれる。
両親が私の名前を呼んでも反応しなかったことから、おかしい?と思って病院で調べたら、
耳が聞こえないということがわかった。

保育園&幼稚園の時は、母と一緒に電車に乗って聾学校へ通学。
そこで、発音の出し方の練習をした。
当時の聾学校幼稚園では、キュードを覚えて、キュードでお話してた。

小学校は、近くの難聴学級がある小学校へ。
小学2年に引っ越ししても、新しい家からバスで通学。
小学生の頃は発音が下手くそで、友達が、何を伝えたいのかを聞きながら、発音を直してもらった。
周りが健聴者ばかりだったので、コミュニケーション言語は口話が主だった。
両親が創価学会の会員だったので、学会活動や仏教の学びに参加してた。
法華経や、仏教の教えを、その時に学ぶ。
宗教に関しては、それが原点になっている。

中学生時代
市民会館に手話サークルがあるのを知り、夜に自転車で手話サークル通いが始まり、
そこで手話を覚える。
そこから、他のろう者との付き合いが増えていく。
学校生活にはなかなか馴染めず、友達らしい友達はいなかった。
インディアンの言葉に興味を持ち、インディアンの本をたくさん買い、本からインディアンの叡智を吸収していた。

高校時代
高校からは、難聴学級がない普通の高校で、勉強についていくのがやっと。
流行には乗れてなくて、同級生とは話が合わず、休み時間はいつもひとりぼっちだった。
孤独な環境で、すごく寂しくて、授業中に耐えきれず涙を流した記憶がある。
その時から、インディアン、アイヌの世界にどっぷりハマる。
同級生とは考えや興味あるものが違っていたから、話が合わなかったとは今ならわかる。
ずっとインナートリップをしていた。
自己追求、自分との声を聴く、自分の心の深海へ潜っていくことをよくやっていた。
小学校から絵を描いてたり、漫画を描いていて、同人誌を創っていた。
漠然と、大学行く時は、芸術大学に行こう、と進路を考えていた。
短大を調べていたら、心にピピってくる短大が見つかったが、母からは違う短大を勧められた。
どうしても自分が行きたい短大だったから、自分を信じてやっていれば、第一志望に通った。
この時、弟が母と喧嘩ばかりするようになり、中学時から学校へ行かなくなり、引きこもりに。
家の中は弟が暴れて壊されたものがたくさん。

短大時代
2年間、色んなことを学べることができた。
卒業前、テストがある日の1/17に阪神大震災が起こる。
自分の部屋の中で鏡が倒れるのを防ぎ、無事助かった。
結果的に、テストの時間がなくなった。
テレビのニュースを見て、いてもたってもいられず、自分に何が出来るのかを考えて、神戸まで船に乗って行って、
ボランディアで、震災したろう者支援のお手伝いをした。
震災した時の神戸は、とても悲惨だった。
「ボランディア」に対しての感じ方、想いもこの時に創られていった。
卒展に向けて描いた作品が、賞をもらえた。
短大時に、アートジュエリー教室でジュエリーの作り方を学んだ。
そこで、仕事を紹介してもらった。

社会人時代
ジュエリー職人見習いを始め、色んな仕事を経験していく。
ろう者だから、やりたい仕事が出来ず、仕事に対しても制限されていることに、もやもやするようになった。
ジュエリー職人見習いを3年で辞めた後、北海道で牧場のアルバイトした時、
社長の車を借りて、中標津、根室あたりを観光し、憧れだったアイヌ人の村へ行って、アイヌ人たちと交流する。
言葉はわからなかったけど、心がふれあうものを感じた。
耳が聞こえない自分は何も出来ないんだ…、誰にも話できる人はいないんだ…と悩み、死にたいと感じたことが何回か。
大阪職業訓練校へ行き、MacというPCと出会い、使い方を学ぶ
そこから、大手の電器会社へ転職。
色々と仕事を経験させてもらい、リクルート会社へ転職しDTPオペレーターの仕事へ。
ずっと、自分の持つ才能を活かせる仕事を探していた。


その時に付き合っていた人との子供がいることがわかり、
事情があって、自分一人で育てるのが難しくて、子供をおろしてしまった。
その時、お腹にいた子供と約束したこと。
「もし次にお腹にやってきたら、私が一人でも産んで育てられるような私になるね」と。
その子供と約束したことが今、叶っていました笑

インディアンへの想いが深くなり、初めての海外旅行はアメリカのグランドキャニオンに行く予定が、
時差ぼけで寝坊してしまって、結局は行けなくなった。
けれど、ラスベカス、L.A.、カリフォルニア、とツアーしてきた。

両親が創価学会で、私は2世だったけれど、
色々な宗教や仏教、先住民族たちのことを調べれば調べるほど、
結局、みんな言ってることは同じ、
元々は同じ神で、国によって言葉や文化が違うのと同じように
そこで暮らしている人たちがわかりやすいように、言葉を変えているだけなんだ、ということに行きつき
創価学会を辞めて、無宗教に。
無宗教だけれど、大いなる神はいる、ということを心の中で信じているだけのこと。

2008年、パワーストーンと出会い、お持ち帰りしたパワーストーンをおでこに置いた時、
体の中で音が響いてくるスイッチが入った。
生まれてから、全く音が聞こえなかったのに、体の中に音楽が流れるようになり、最初はびっくりした。
けれど、今は、音楽が聴こえる、聞こえない、は、私の体調のパロメーターになっている。
この時から、携帯に宇宙人が突然現れたりと、不思議体験が始まった。

2009年3月
ある日、眠れず早朝に目が覚め、携帯でネットサーフィンしていた時、
マヤ族の13代目最高神官アレハンドロ・シリオ・オクスラさんさんが、初めて日本に来られるのを知る。
神戸に来られるのが、その日だった。
これは行かないと!と感じて、神戸までアレハンドロ・シリオ・オクスラさんの講演会を聞きに行った。
そこで筆談通訳してくれる人をお願いしたら、ご縁ある方が筆談通訳してくれて、
アレハンドロ・シリオ・オクスラさんの最後のマヤの予言のことを聞くことができた。
2012年の地球の変化のことについて。
そこで出会ったヒーラーさんと仲良くなり、共に行動していくことに。


体の中に響いてくる音楽を感じるようになってから、セドナ行きが決まった。
2009年10月ごろ
セドナに行った時、ホピ長老と仲良しなガイドさんに
「予言の岩」を案内してくれた。
中学生の時にテレビでいた「予言の岩」がとても印象的に記憶に残っていて
テレビで見た「予言の岩」が、リアルで見れたことに感動。
「預言の岩」を見ていた時に感じたことは、
「人々の意識によって、未来の地球が変わっていくなにを、どう選ぶかが、とても大切なんだな」というメッセージを受け取った。
みんなが共に野菜を育てて、愛と調和の中で平和に幸せに暮らしている世界。
未来の地球からのメッセージをこの時に受け取りました。

そこで目に入った小さな可愛らしい石を見つめていたら、
ガイドさんが「あなたのものよ」と言われて、日本に持って帰り、
ずっと肌身離さず「ホピの予言の岩」のエネルギーを持ち歩くことに。
モンでスマ池でエネルギーを感じていたら、現地ガイドさんから、「あなたはインディアンね」と言われた。

フェニックスでヒーラーさんに、体の中に響いてくる音楽のことを聞いたら、
「それは生命の音だよ。その音を奏でるには、クリスタルボウルがいいよ」と
言ってくれた時、柱の時計がピーンって鳴ってくれ、YESのサインだね、と教えてくれた。
その時、「クリスタルボウル」という言葉を聞いたのが最初だった。

ヒーラーさんが、チャネリングで見てくれたこと。
訳あって手放した私の子どもが、亡くなられた父方のお祖母さんと手を繋ぎながら
やって来てくれた。
ニコニコ笑顔で笑ってくれてた。大丈夫だから安心してね、と言ってくれた。

ガイドさんの友達がクリスタルヒーラーさんで、その日に自分の国へ帰るということで会いに行った。
会った時、大きなカイヤナイトを頂き、ハグしていたら、なぜかわからないけど、涙が溢れてきた。
初めて会った女性なのに、なぜか懐かしい感覚が会った
その女性が「私の妹よ!」と言ってくれた。
この時、私の魂の家族は、世界中あちこちにいるんだな…と感じ始めた。
セドナで、「過去世」との統合と癒しのエネルギーを受け取った。

日本に帰って、「クリスタルボウル」を調べていたら、北海道に在住していたクリスタルボウルヒーラー、けいこ先生と出会い、けいこ先生が神戸に来られた時に、クリスタルボウルセッションを受けて、クリスタルボウル講座を受けることに。
クリスタルボウル講座の最後の夜に、けいこ先生の演奏会があり、
けいこ先生から私に、「演奏会の前座として、クリスタルボウルを演奏してね」と
突然言われて、いきなりのデビューを飾ることに。
2010年5月の時。
アレハンドロ・シリオ・オクスラさんの講演会で出会ったヒーラーさんからメッセージを受け取って動くことに。

2010年8月8日(日)
私は 富士の山中湖へ クリスタルボウルを持って富士山のお祭りの日に、山中湖で、クリスタルボウルの演奏会をやる。

2010年8月8日
この日のために、マイボウルを探すのと、富士山での下見を兼ねて、富士山へ行くことに。
演奏する場所が決まり、マイクリスタルボウルとも出会い、
2010年8月8日、初めての個人でのクリスタルボウル演奏をスタートした。
この時は、眠っていた新しい龍の目覚めのエネルギーだった。

富士山山中湖でクリスタルボウルを演奏していたら、遠くから白鳥が近づいてきて、近くで優雅に身繕いしていた。
演奏が終わったら、湖の湖面が小波を響かせて、アンコール!アンコール!と言ってくれた。
再び演奏始めたら、小波がピタッと止まった。
ヒーラーさんから、私のクリスタルボウルは、エレメンタルオーケストラを奏でる音だよ!と名付けてくれた。
この時から、クリスタルボウル奏者としての人生がスタートした。

クリスタルボウル奏者として独立することを決めて12月に独立した後
運命の2011年3月11日がやってきた。東北大震災。
その時から、大地と海を癒すために西日本あちこちクリスタルボウル演奏しに周っていった。
テレビで、福島の原爆のことを見たことが衝撃的で、阪神大震災の状況と重なり、ある考えが浮かんできた。
「これから先、どう生きて行ったらいいんだろう??」
友達に誘われ、フィンドホーンに行った人が経営しているカフェに行った時
そこである本と出会い、その本の表紙を見ただけで鳥肌が立つ。
私にとっての鳥肌は、「これだ!」というお知らせ。
その本は、震災が起こり、東京都が破壊され、都市の機能が麻痺した未来の日本で、
生き残った人たちがどのように暮らしているか??が書かれた本だった。
そこには、パーマカルチャー、エコビレッジ、などなど、大地に根差し、
人々と繋がり、共に支え合うコミュニティビレッジのことが書いてあった。
ホピの予言の岩からのメッセージと重なり、これからの地球の未来はこれだ!と感じ、
そこから、パーマカルチャーや、エコビレッジなどの団体を調べ、参加して学ぶことに。
浜松から諏訪大社まで、塩の道を歩いて、塩を届けていき、屋久島から諏訪湖までの
エネルギーを結んできたりした。

宮古島へ行き、龍の穴に出会い、そこで生まれた新たな地球で活躍する龍神たちのエネルギーを富士山の胎内洞窟へ届けていく役割も。
大地への祈りを兼ねて、宮古島から富士山まで西日本を旅してきた。

ある時、大阪駅の大きなデパートのエレベーターの中で同級生のろう者と偶然に出会い、その同級生の腕には、赤ちゃんが抱っこされていた。
赤ちゃんを見た時、「私のこどもを産みたい!」とこの時に閃いた。
その時から、妊活スイッチが入ったようなw
活動している中で、妊娠が発覚。
最初に赤ちゃんがお腹にやってきた時の状況とまったく同じだった笑
今回は迷わず一人で子供を産み育てていくことに決めた。
誰にも相談せず、自分一人で選んで決めて、愛知県岡崎市の吉村医院と出会い、
大阪から愛知県まで検査しに通院してきた。

臨月になり、赤ちゃんがいつでもいいような時になり、
私のラッキーナンバーが「8」だし、よく「8888」のナンバーを見るから、
もしかしたら、私の赤ちゃんは「8月8日」に生まれてくるんじゃないかなぁ〜と
ぼんやり感じていたら、本当に、「8月8日」の朝にお印が来て
お産の準備が始まり、19時8分ぴったり地球にやってきたw
あと1時間遅ければ、夜の8時(20時)8分だったのになーと、今は笑い話。

姫ちゃんが生まれた日の夜、吉村医院での中で見た夢。
鬼滅の刃の炭治郎の心の世界のように、どこまでも広がる青い空に、青い海原の中で
イザナギとイザナミが空に浮かんでいた。
「私はナギ」「私はナミ」
「ナギが息を吹きかけ、ナミが起こされ動き、世界が創られる」
というとても深い印象的なメッセージのある夢を見た。


20歳に、同級生のろう友達が交通事故で亡くなり、身近な人がお空に帰ったこと
友達の母がとても嘆き悲しんでいるのを聞いた時、追悼文集に提供する文章が浮かんできた。
「人の魂はみんな、宇宙の旅人である」
「生まれ変わり、また繰り返し人生を生きていく」
というようなポエムを書いていた。
20歳の時は、仏教の教えによって輪廻転生のことを知っていて、そこから、魂は宇宙を旅していて、いろんな星を旅していて、何度も人生を経験していることを魂の奥で感じていた。
↑これが、AKIRA歌との出会いに繋がっていたのかも。

姫ちゃんを産んでからは一人でゆっくりと子育ての時期へ。
2013年、子育てするために、今の住んでいる所の地域へ引っ越しすることに。
今までは色んなところへ旅してきたけれど、
子どもが生まれたことで、じっくりとお家や地域と関わっていくように。
二人っきりの家族。
姫ちゃんとずっと向き合ってきた。
姫ちゃんの要望に応えられなかった時は、ずっと泣きっぱなしだった。
初めての子育ての中で、両親への感謝の心が生まれてきた。

今までは、弟が中学校から学校へ行かなくなり、そこから何十年も引きこもりになり、
その原因は、母親の心配性と手を出していく所が原因だけれど、
耳が聞こえない姉を持つことで、母から、お姉さんのサポートをしてねと
言われたのがイヤだったということを、弟から聞かされて、
自分が耳が聞こえないことに対して否定的な気持ちになってしまった。
弟が引きこもりになったのは、母の性格が原因だ、とずっと母を責めていたけれど、
私に子どもが生まれ、子どもを育てていくことで、逆に母や父の気持ちがわかるようになった。
今は両親に感謝の気持ちがある。

バラバラで、不完全な家族だったけれど、ある時、AKIRAさんのことを知り、ブログを最初から読んできて、これまで私が感じてきたことと近いところがある!というのを感じ
興味を持って、神戸のライブに初めて参加して、ステージに初めて呼ばれて、そこから人生が変わりました。
AKIRA歌の歌詞を読んでいくと、私が感じていていたことがたくさん繋がってきた。
その時に、AKIRAさんの歌を他の聾者にも聞いてほしい!と感じ、
歌に手話がついた、AKIRAライブを主催することを決めた。
動いている途中に、父に胃がんが見つかり、AKIRAさんも同じ胃がんの経験があったから、
両親にもAKIRA歌を聴いてもらいたいって思って、鳥取ライブをすることに決めた。
鳥取ライブは、両親、家族との和解。
大阪手話ライブは、聾者、手話歌を初めてつけて演奏することに。
そこで、他の聾者たちにも、AKIRA歌を知って聴いてもらい、自分の夢が叶いました。


手話ライブをやってくれる聾者へとバトンタッチし、
さらにAKIRA歌に手話をつけて広めていくように、動画撮影をすることに。
まず、浮かんだのが、レラさん。
レラ、という歌の手話歌動画のイメージが浮かび、そこから他の歌のイメージが浮かんでくる。
動画撮影は初めてなので、いろいろと迷ったり悩んだり、喧嘩したりしながら、
少しずつ形にして来て、やっとDVDができた。
奈良と北海道での撮影。
北海道では、レラさんとAKIRAさんのコラボライブ企画を。
コラボライブ企画したら、みんたるには人がいっぱいになって、エネルギーあふれるライブになった。
手話歌動画に参加することに快く承諾してくれた人たちには感謝いっぱいです。

エネルギーを使い果たして、いろんなことを手放していく。
原点に戻り、クリスタルボウル奏者として続けながら、自分を模索していく。
畑も始めて、地域に沿った暮らしを模索。

2019年1月に初めてパートナーの国へ行く。
そこにある歴史のある建物や人々のあったかいおもてなし、文化の違いを知る。
ものすごくおもてなしの人が多くて、家族を大切にする人が多い。
対話と買い物のやりとりを楽しみ、バザールでの楽しみ方があった。
歴史のある文化を知り、何十億年前からの塩の洞窟にも入る。
姫ちゃんの中に流れている、もうひとつの世界がつながった。

※その旅でなっちと姫はこの絵に登場するモスクにあるステンドグラスの回廊へ実際に立っていた。

2020年コロナが流行
その間に、友達の紹介で、NPOのキッチンで、支援員として働くことに。
障がい者支援として、キッチン内の流れを経験していく
コロナ流行のため、マスクをする人が増えてきて、コミュニケーションが難しくなってきた。
手話を使ってほしい、コミュニケーションに配慮を考えて欲しい、と何回も意見を出してきた。
その意見さえも聞き入れず、福祉系の職場だけど、合わないなぁと感じるようになり、
ますます「手話」の大切さを実感。

2022年の1月に、福祉のキッチンに声をかけてくれた友達といろいろ話してきて
一緒に独立して、NPOを立ち上げようか、と決めて動き始めた。

手話でつながる「にじのかけはし」として3月に活動をスタート。
そこからコツコツと手話の普及を進めてきた。
手話Cafeのイベントやマルシェを企画し、60人以上もお客様が来てくれた。
ご縁とサポートのおかげで、活動の認知が広がっていき、手話レッスンも始まり、
手話カフェ、手話食堂もスタートすることに。
手話Cafeは、前から温めていた夢だったので、その夢のひとつが叶いました。

さらに大きな夢である、自然に寄り添い、昔ながらの暮らしを学ぶ学び舎、
森の楽園、森の学び舎となる拠点とご縁を頂き、それをスタートするために
今、動いているところ。

2023年4月には新しい場所へ引っ越しし、新拠点で、新しい活動をスタートするために動いています。
そこでは、手話のある世界で、エコビレッジみたいな、ホピの予言の岩で受け取ったメッセージと
311から未来の方向のメッセージとつながる活動を進めていく予定です。
(なっちのライフストーリーはここまで)


この絵はオレが1988年28歳のときにいった中央アジアにあるモスクが背景だ。
オレが訪れた当時は戦争中だったが、このモスクで天国を感じた。
奥行きのある回廊にステンドグラスの光がしきつめられ、その奥には針でついたような小さな光が見える。
これはなっちを守り導いてきたシャイニングソウルであり、なっちが光へ帰る場所だ。
娘を抱いたなっちが遠くを見つめている。
今まで過ごしてきた苦難の道を振り返り、これからつづく美しい花道へ踏み出そうとしているかのようだ。
闇に光が散りばめられた画面にはおごそかで、なっちの表情は人間の崇高さに満ちている。
姫は母を抱きながら手で英語の手話「I Love You」を送っている。
なっちのハロウィンメイクは、ひたいにクリスタルボウルのハーモにを表す8色の虹に、宇宙の始まりと終わりの音「オーム」(チベットではオムマニペメフム)の梵字。
目はなっちの聖数である八芒星。
ほほにはエジプトのアンククロス(生命の力)。
あごにはなっちのマヤ暦のKINである赤い龍。
姫のひたいにはホピのマーク。
ほほにはホピの精霊ココペリ。(知らずに描いたが、姫はランドセルにココペリの人形をつけて小学校へ通っている)

AKIRA作品のほとんどは集合無意識の井戸から汲み上げた直感でつくられているが、これほどあり合えないシンクロは初めてだったわ。
やはり見えない力に支えられ、作品を創らせてもらっているのだなと、つくづく感じるシンクロだった。


なっちのライブペインティング動画1

なっちのハロウィンメイクと解説動画2



えみぽん動画1

動画視聴者限定

ハロウィン肖像画シーズン7月にタイで制作予定)

4名のみ募集

12万円(月1万円の12分割までOK



ハロウィン肖像画シーズン2彩乃(岐阜)

彩乃動画1

 https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=6011191645634802&id=100000789583722


 ハロウィンメイク&解説動画2

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=862740518274424&id=100000789583722




1、ハロウィン肖像画シーズンⅡ −1Eagle Moon Mami(大阪)

まみの動画1

https://www.facebook.com/akira.sugiyama.351/videos/722503219187822/


ハロウィンメイク&解説動画2

https://www.facebook.com/akira.sugiyama.351/videos/1318387425611473/


アメブロ

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