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【恋愛レボリューション21/モーニング娘。】
 ‘アイドル氷河期の90年代において、再び女性アイドル・グループの意義を説いたオーディション・アイドル’
 大学時代はまだしも、大学を出てフリーター時代を過ごし、就職した頃は確実にアイドル氷河期だった。SMAPのところでも述べたが、歌番組はどんどん終焉を迎え、CD売上はアイドル路線からアーティスト路線へと趣向が変わり、テレビからアイドルが消え去った。特にアイドルに依存したこともなかった私が困ることはまったくなかったし、それが世の流れだと思っていた。だが、形は違えど、現在はアイドル天国である。有名から無名まで、アイドルグループが星の数ほど存在し、テレビをつければ素人のようなアイドルが蔓延っている。やはり、歴史は繰り返すものなのだ。そして、現在のアイドルグループのブームの礎となったのは、実はモーンング娘。なのではないだろうか?思うのだ。
 
 1997年、オーディション番組「ASAYAN」において「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」の優勝者が平家みちよに決まった。しかしつんくは番組内で、最終選考で落選した中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香の5人も良かったということで、もしCD5日間で5万枚売り切ることができたら、この5人でユニットを作り、メジャーデビューさせると発表する。大阪HMV心斎橋店を皮切りに、インディーズシングル「愛の種」を全国5都市で手売り販売するキャンペーンをスタートさせる。初日となったこの日は、同店で15,612枚を手売りし、これは、HMV11店舗における1タイトルの売り上げ世界記録となった。キャンペーン4日目となったこの日、ナゴヤ球場で目標の5万枚を完売し、メジャーデビューが決定した。「ASAYAN」の放送で、シャ乱Qのマネージャーより、モーニング娘。が翌年にメジャーデビューし、それにあたってのプロデュースをつんくが担当すると発表された。
98年、シングル「モーニングコーヒー」でメジャーデビューを果たす。同作品は、オリコンチャートで初登場6位を獲得した。また、「ASAYAN」で、保田圭、矢口真里、市井紗耶香2期メンバーとしてモーニング娘。に加入すると発表され、8人体制となった。同年、初主演映画「モーニング刑事。抱いてHOLD ON ME!」が上映される。、「抱いてHOLD ON ME!」で、日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、紅白歌合戦に初出場を果たす。
99年、福田明日香が学業優先を理由にモーニング娘。を脱退すると表明した。その4ヶ月後には、後藤真希3期メンバーとしてモーニング娘。に加入すると発表され、8人体制となって、7thシングル「LOVEマシーン」を発売した。同作品は、オリコン週間シングルチャートで3週連続1位を記録すると、最終的に累計約164万枚を売り上げ、グループ最大のヒット曲となった。
 
彼女たちがデビューした97年は小室ブームの最中で、女性アイドルと呼ばれる存在でヒット曲を出していたのはSPEEDくらいしか存在しなかった。その中での「ASAYAN」でのオーディションはそれなりに話題になっていた。同番組で小室哲哉の新たなユニットなどの企画もあったが、はたしてつんくにどれだけのことができるのだろう?と半信半疑で見ていた記憶がある。今、当時の映像を見直してみると、ルックスはパッとしないし、‘モーニング娘。’って、絶対に売れないだろう、と思っていた。が、結果的にモーニング娘。は売れた。そればかりか、グループ内ユニットとして、タンポポ、プッチモニ、ミニモニ。、グループ外のハロー!プロジェクトのユニット、ココナッツ娘。、カントリー娘。、エコモニ。などがデビューしたほか、つんくは松浦亜弥や藤本美貴などのプロデュースもして、一躍、小室哲哉に次ぐ売れっ子プロデューサーとなる。
 
モーニング娘。が一つ上の階段を上がったのは、やはり後藤真希の加入と「LOVEマシーン」だろう。それまではデビュー曲が象徴するように、既存のアイドル路線をいく曲調とキャラクターにあったが、5thシングル「真夏の光線」が23万枚、6thシングル「ふるさと」が17万枚と下降線にあった時に、つんくがそれを敏感に察知し、新メンバーを注入し、楽曲もそれまでなかったダンス・チューンを導入したのが「LOVEマシーン」だったのだ。過去にもここで取り上げたが(台北日記100209参照)、「LOVEマシーン」は当時、ダンス・ミュージックの新鋭ミュージシャンとして話題になりつつあったダンス☆マンを編曲に迎え、楽曲のレベルも、グループのレベルも押し上げた。
 「LOVEマシーン」は前作「ふるさと」の10倍近い164万枚をを売り上げた。それに気をよくしたのか、続く「恋のダンスサイト」「ハッピーサマーウェディング」でもダンス☆マンを起用し、それぞれ123万枚、99万枚を売り上げたが、次の「I WISH」でダンス☆マンを外すと、65万枚と落ち込み、すかさずまた「恋愛レボリューション21」「ザ☆ピース!」でダンスマンを起用して、復活させた。
 
 世間ではあまり言われていないが、私はつんくは秋元康のプロデュースを模倣したと思っている。デビューしたと思ったらすぐにメンバーを増員したり、辞めたい意志を表したメンバーは即卒業させたり、様々なユニットをデビューさせて、ファンを驚かし飽きさせなかった。現在も存続するモーニング娘。だが、2012年に発売した「ピョコピョコウルトラ」の売上はわずか34千枚。近年の売上も10万枚前後に留まっている。もちろん、CDが主流だった当時と、配信が主流となった現在では時代も違うが、やはりモーニング娘。の黄金期は、後藤真希が在籍していた時期だったと思う
ということで、本日はつんくが作詞作曲し、編曲をダンス☆マンが担当した、黄金期の「恋愛レボリューション21」を紹介したい。この曲のPVは、TLCの「NO SCRUBS」をパクっているが、そのパクり方もなかなかいかしている。

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「恋愛レボリューション21」 https://www.youtube.com/watch?v=D_xkQAxyf-o

ご存じのように、モーニング娘。を卒業したメンバーたちは、未成年で喫煙をしたり、作詞の盗作をしたり、自宅で不倫をしたり、飲酒運転で轢き逃げしたりと多々問題沙汰を起こしているが、まだデビューして初々しかった頃の彼女たちは決して悪くなかった。だが、やはり若い頃に成功してしまうと、人間図に乗ってしまうという典型的なアイドル・グループなのだろう。