超新星フラッシュマンについて | 北条明の世界

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超新星フラッシュマン

 「超新星フラッシュマン」は、昭和61年に放映された戦隊シリーズ第10作目であるが、当時の位置づけとしては、第8作目にあたる。

「バイオマン」、「チェンジマン」と戦隊シリーズの魅力を感じ始めていた自分にとって、その設定にはとても惹きつけられるものがあった。
フラッシュマンは、20年前、エイリアンハンターによって、地球からさらわれた子どもたちの成長した姿であり、メスの野望から地球を守り、そして、まだ見ぬ自分の親を探すという設定である。
敵の組織を倒すというのは、東映ヒーロー作品の王道である。
それに加えて、親が見つかるのかという興味を呼び起こしている。

オープニング主題歌の前に、20年前に子どもがさらわれたというナレーターが入る。
それが、毎回毎回、今回は親が見つかるのかって興味を持続させていたと思う。
ただ、「そして20年後」というナレーションとともに、「1986」ってでっかく字が出るのは嫌だった。
後年見た時に、絶対に、そこに違和感を感じるはずだから。

さらに、中盤に登場したレー・バラキによって、フラッシュマンには、重大な弱点があると知らされる。
いったいそれは何なのかという謎も提起された。
フラッシュ星系の惑星(衛星)直列によるパワー減少を描きつつ、実はそうではなく、最終決戦間際になって、反フラッシュ現象という致命的な弱点を明らかにしている。
タイトルの「戦士よ地球を去れ」というのは、まさにこの状況を端的に表しているタイトルである。

とても、よく考えられている設定だと思う。
脚本の曽田博久氏は、「ゴーグルⅤ」から「ファイブマン」までのメインライターであるが、戦隊シリーズを見始めた時期というのがあるかもしれないが、個人的には、この時期の戦隊に一番思い入れがあるし、よく、こんな設定を考えられるなと感心しながら見ていた。
ただ、急遽、2号ロボが出ることが決まったらしくて、当初の構想がめちゃくちゃになったらしい。

第1話は、なんだかまだ地に足がついていないという感じがした。
フラッシュ星から地球へ向かうところやブンがジェットシーカーを操縦している場面などで、それを感じた。

そして、タイムマシンを作って、過去の秘密を明らかにしようとする時村博士が登場し、誰が博士の子どもなのかという謎がまた出てくる。
しかも、博士は息子が誘拐されたと思っていたのに、記憶が操作された影響か、それは間違いで、実は娘だったという想定外の展開となる。
当時、漠然と全員が親と会えるんだろうと思って見ていたのだが、結局、親がわかったのはサラだけだった。
今思うと、全員の親探しを1年の放映期間でやれるわけないのだが、全員に親が見つかって欲しいという思いもあったのか、そう思っていたし、そうならなかったのは、個人的には、地球に来た目的の一つである親探しが完結しなかったという点で、不完全燃焼感が残った。

フラッシュマンのキャラクターは、小さい頃から、同じ星系で育った者たちということで、兄弟同士のような感じがよかった。
ジンのお兄さんぽいところが、一番かっこよかった。

フラッシュマンのマスクは、とてもかっこいいと思う。
変身する時に、「プリズムフラッシュ」と言うのだが、全員が同じことを言うというのは、統一感があってよかった。
それまでは、一人の時は「レッドワン」と言っているのに、全員で変身する時は「バイオマン」と言うのに違和感があった。
スーツが、ギャバンみたいに、変身コードを言うことで転送されるのかされないのか知らないが、それが気になっていた。
そして、「プリズムフラッシュ」というのは、とてもかっこいい語感である。
大学の時に、テニスコートの抽選で当たりやすくなるように、架空のサークルを作っていたのだが、その名前に借用していたくらいである。

今回初めて知ったのだが、プリズムスーツは、フラッシュ星系から転送されているそうである。
すごく壮大な感じを受ける。
フラッシュマンの戦力としては、プリズムシューターが、盾と剣に分かれるのが、チェンジソードもそうだったが、かっこいい。
あと、通常のローリングバルカンでなく、第21話で獣戦士を倒した超音波反射砲は、当時は珍しかったパターン外しだったこともあり、印象深い。

キャラクターとしては、フラッシュ星人は、ウルトラマンを思わせる風貌で、宇宙人という感じを醸し出していた。
すごくいいデザインだと思う。
戦隊シリーズで、一、二を争うデザインだと思っている。
英雄タイタンの過去の戦いも、フラッシュ星人の戦士が、実は過去にはいて、しかも一人で戦っていたというのがかっこよかった。

そして、なんといっても、「フラッシュマン」は、戦隊シリーズ初の2号ロボが登場する作品であった。
1号ロボは、フラッシュキング。
今までは、「バイオロボ」みたいに、「〇〇ロボ」ばっかりだったから、「フラッシュキング」って名前は新鮮だったし、かっこよかった。
「バイオマン」のロボは、最初、「バイオキング」だったらしいが、結局、「バイオロボ」になってしまったから、遂に実現してよかったという感じであった。
フラッシュキングは、第15話「巨大ロボ破れたり」で、破壊されてしまう。
そして、2号ロボ=タイタンボーイ、そして後部トレーラー部分と合体するグレートタイタンが出てきたのは、衝撃的だった。
ヒッポリト星人戦で、5兄弟がブロンズ像にされた時、ウルトラの父が来てくれたのに次ぐ衝撃であった。

今は、なんかあっさり新ロボが出てきて、しかもその数がとても多いというのが、商業的に必要なのはわかるが、個人的には快く思っていない。
しかも、登場エピソードがあっさりしすぎている。

フラッシュキングが敗れた次の回は、「人間ミニミニ作戦」という、とても巨大ロボが、シリーズ史上初めて負けた次の回とは思えないタイトルなのだが、まだ2号ロボは登場せず、ロボなしで、獣戦士を倒している。
その後、バラキが、フラッシュタイタンを託すという、2号ロボ登場までを丁寧に描いている。
だからこそ、印象に強く残るんだと思う。
グレートタイタンは、最終回で、フラッシュキングを倒したザ・デーモスを、タイタンノバで倒している。
タイタンノバの強さが際立っているが、主役のフラッシュキングに倒して欲しかったという思いはある。

メカでは、スターコンドルが、白く、スマートで好きだった。

敵では、清水紘治氏演じるリー・ケフレンは、存在感があった。
ユリアンやダイナピンクだった萩原さよ子さんが、敵の幹部というのはどうなんだろうと思った。
サー・カウラーは、いい位置にいるキャラで、強さも際立って、描かれていた。
ただ、中田譲治氏が演じたキャラとしては、大教授ビアスの方が思い入れが強い。
敵が、デウス獣戦士にパワーアップするのも、丁寧に描いていたので、印象に残っている。
ラボー戦闘機が飛ぶだけでなく、地上を歩行するのが斬新だった。
しかし、何といっても、一番好きなのはクラーゲンである。
レー・ネフェルが「クラーゲーーーンー」と叫ぶ声が耳に残っている。
エネルギーを放出した後、小さくなってしまうのもよかった。

「フラッシュマン」の挿入歌が収録されたCDを、かなり前に図書館で借りて、カセットテープに録って、今もたまに聞いている。
「輝け!フラッシュキング」や「ハートは火花さ、フラッシュマン」など、佳曲が多いが、一番印象に残っているのが「アクション、No.1」である。
なんだかよくわからないメロディに合わせて、フラッシュマンの技の名前を叫ぶという変わった曲なのだが、何回か聴いているうちに、はまってしまった。
不思議な曲である。

「フラッシュマン」は、本放送をビデオに録画して、1話を除いて、全話見た。
ビデオが確か不調で、第32話「すきすきマグすき」だけ、録り損なっている。
プリズムをマグが強化するという重要エピソードだったので、本では読んだが、どのように強化されたか、よくわかっていない。
「フラッシュマン」は、ずっとソフト化されていなかったが、何年か前にDVDになったりので、いつか必ず見るつもりでいる。

「フラッシュマン」は、本放送で見たっきり、その後は一度も見ていない。
しかし、その秀逸な設定により、次はどうなるんだろうと真剣に見ていたため、記憶に強く残っている。
「バイオマン」、「チェンジマン」、「フラッシュマン」、この3作品は、東映ヒーロー作品を見始めた時期の作品ということもあるが、ストーリーの面白さは断トツであり、戦隊シリーズの中で、自分にとって思い入れのある作品となっている。