言葉に現れることは、本音ではなかった。
そんな経験はありませんか?
例えば、とある中堅企業の社長と部下(鈴木君)のこんな会話。
(赤字は内なる声の部分)
時間は18時過ぎ、社長は帰り支度を済ませ、出口に向かう。
その時に、鈴木君が同僚とと楽しげに打ち合わせをしている、
社長が傍を通りかけても気がつくそぶりはない。
(鈴木君:うわ、社長が傍を通るぞ、ここで口を挟まれると困るから知らんふりしておこう)
そこで社長が声をかける
社長:「鈴木君、今晩三友百貨店の武田部長と飲むんだけど、何か言っておくことある?」
(あれ俺に気付かないのか?関わって欲しくないのか?少し声をかけて見よう)
鈴木:「いや、特にないですけど。。」
(急に言われても、困るよな。)
社長:「そんなことないだろう。2週間後に大事な打ち合わせが控えているじゃないか」
(相変わらず考えてないな、ここは一つ社長がえらい人と会うことが如何に大切のことなのかを教えておこう)
鈴木:「そうでしたね。でしたら、先日伝えた例の試作品の進捗状況をご報告頂けますか?」
(これ、別に今日でなくてもいいんだけど、ないとも言えないから。。。)
社長:「それもそうだけど、あのお客様は大切なお客様だぞ。その後の上市までのプランがちゃんと詰まってなか ったら説明しない方がよいかもな。他に何かある?」
(やっぱりここまで考えてないのか。。。)
鈴木:「いや、そうだとすれば特にないので社長にお任せします」
(何だよ、やっぱり自分で話すこと決めてるじゃん。だったら聞かなくていいのに)
社長:「そうか、わかった。じゃ、これから武田部長に会ってくる。」
(うーん、やっぱりわかってなかったか。まだまだ色々教えなくてはいけないな)
この二人は、どんな気持ちで会話を終えたんでしょうね?
話す方には何かしらの本音があります。ただ、それは言葉に現れないことが大半です。
ただ、聞く方は言葉でしか相手のことを測ることができない。
コミュニケーションの難しさの一つは、
本音を伝えない、本音が伝わらないことで意思疎通が図れない。
ことにあります。
では、本音や考えを率直に語るコミュニケーションスタイルが良いのでしょうか?
それはそれで、良いのですが、一方で日本には、
相手の本音を推し測るのが美徳という文化
もあるように思います。
伝える側の明瞭さなのか?受ける側の受容力なのか?
どちらも大事ですが、これだけメールやブログが発達すれば伝える側の力は益々強くなれば、本音はますます伝わりにくくなりますね。
その意味では、言葉の裏にある本音を推し量る力を磨くというのは、これからの時代とても大事なことかも知れません。
そんな時、1兆円を超える日本を代表する食品メーカーの社長が社員に語った言葉を思い出しました、
「これからの時代は人間らしいコミュニケーションの時代。その為にはもっと感性や感受性を磨かなくてならない」
感性や感受性を磨くこと、忘れてはいけないですね。
