イラッとする相手と自分、いちごの贅沢

 

先日、いちご狩りのニュースを見ていて、ちょっとイラッとした。

若者数名のグループがテレビのインタビューを受けていたのだが、手元のかごには、食べ散らかしたいちごのヘタがどっさり。よく見ると、甘い先端だけをかじって、残りは半分以上捨てている。

なんという食べ方(怒)。もったいないし、農家さんが見たら泣くぞ、と思った。

……と、そこまではよかった。

ところが、少し時間がたってから、妙なことに気づいてしまった。あれ、もしかして自分は、ただ腹を立てていたわけではないのではないか。ひょっとすると、ちょっとだけ羨ましかったのではないか。

そうか。僕も一度くらい、いちごのいちばん甘いところだけを食べる、あのバチ当たりな贅沢をやってみたかったのかもしれない(笑)。

もちろん、実際にはやらない。そんなことをしたら、もったいないし、たぶん途中で自己嫌悪が勝つ。それに、テレビに映って全国へ流れる形では、なおさら嫌である。

でも、ここでひとつ面白いことがある。

人が誰かにイラッとするとき、相手の非常識そのものに腹を立てていると思っていたら、ときどきそこに、自分の中の小さな欲望や、見たくない気持ちが混ざっていることがある。

たとえば、ずうずうしいくらい平気でお願いごとをする人にあきれることがある。

 

「よくそんなこと頼めるな」と思うのだが、考えてみれば、こちらは遠慮しすぎて頼めず、あとでひとりで疲れていたりする。つまり少しだけ、「その図太さ、分けてほしい」と思っているわけである。

はっきり断る人に対しても、似たところがある。


「冷たいな」と感じることがある一方で、こちらは断れずに引き受けて、あとで少し後悔している。そう考えると、あの人は冷たいのではなく、単に上手に線を引いているだけなのかもしれない。いや、それでも言い方はもう少しあるだろう、と思うことはあるけれど。

つまり、イラッとする相手というのは、まったく理解不能な宇宙人というより、自分の中にも少しあるけれど、ふだん抑えているものを、あっさり出してくる人なのかもしれない。

だから余計に腹が立つ。そして、ほんの少しだけ羨ましい。

もちろん、全部が全部そうではない。単に失礼な人もいるし、ただただ迷惑な人もいる。こちらの心の成長でどうにかなる話ではなく、普通に「それはやめてくれ」という案件も多い。

でも、ときどきあるのだ。相手に怒っているつもりで、うっかり自分の本音を見てしまうことが。

あのいちごのニュースも、たぶんそうだった。

僕は「なんて身勝手なんだ」と思いながら、心のどこかで、「いちばんおいしいところだけ食べるって、ちょっと魅力的ではあるな」と思ってしまっていたのである。

なんとも情けない。でも、少し可笑しい。

人にイラッとしたとき、相手の非常識だけでなく、「自分の中の何が反応したんだろう」と一度だけ考えてみると、ただの不快感で終わらず、ちょっとした発見になることがある。

まあ、だからといって、いちごの先っぽだけ食べていい、という話ではない。そこはやはり、普通に全部食べたほうがよろしい。もういいって?(笑)。

ただ、あの日の僕は、若者グループに腹を立てながら、同時に自分の中の小さな食い意地まで発見してしまった。

人間、なかなか奥が深い。いや、心理学どうこうではなく、単に先っぽが食べたかっただけかもしれないが。

 

♪ 今日の一曲 ♬

 

ランディ・ニューマン「Short People」。ちょっと意地悪で、ちょっと可笑い。誰かにイラッとしていたはずなのに、最後は「いや、自分も大して変わらないか」と苦笑してしまう。そんな日の締めに、なんだかちょうどいい一曲。

 
Short People · Randy Newman