浦上天主堂に来たのは大学3年の時いらいになる。

年末の酒屋のアルバイトで20万円もらったので

年明けの1987年1月に幼なじみの友人と大阪府堺市から車でやってきたのだ。

 

34年ぶりに見上げた浦上天主堂。

満月が出ていた。

 

 

ただ天主堂の周りの雰囲気って、こんな感じだったかな…

正直なところ、よく覚えていない。

当時は階段を昇ったように記憶していた。

いい加減なものだ。

こんなスロープがあったのか。それともあの後で出来たのか、

スロープの方がオッサンにはありがたい。

助かる。

 

正面からみた浦上天主堂。

初代は原爆の被害を受け、こちらの天主堂が再建されたのは

昭和34年(1959年)のようだ。

浦上天主堂の説明看板に詳しく書いてあった。

 

悲しみのマリア像

原爆の被害で指が欠けているということは

ホテルに帰ってから知った。

 

こちらは聖ヨハネ像

下はヨハネパウロⅡ生の胸像↓

浦上天主堂の中は、ミサの真っ最中のようだった。

さすがに中は撮影できない。

浦上天主堂から大浦天主堂へはとても歩いてはいけない。

いや根性があれば歩けるのだろうが

そんな根性は持ち合わせていない。しんどいし、時間も無い。

夜も遅いので、いったんホテルに帰ってから

翌朝出直すことにした。

 

車は市営の駐車場に泊めた。看板の現在地から20時の方向にある。

1時間300円で、あとは30分おきに150円だったと思う。

 

長崎と言えば、カステラ。

長崎堂のカステラ本店がグラバー坂の手前にあった。

 

グラバー園に続くこちらのなだらかなグラバー坂を上がっていく。

大浦天主堂までは150mほどかな。

歩けないこともない。てか、歩かないといけない。走る必要性はない。

あたり前だ。

ボウリング発祥の地は、長崎市らしい。

ここで長崎県人がボウリングをしなければ、須田開代子やさわやか律子さんこと中山律子の

活躍も無かったし、70年代初期のボウリングブームも無かったし、

オレ竜の落合博満もプロボーラーを目指していなかったことだろう。

言っている意味のわかららい人は無視すればいい。

どうせ、こんなブログ、誰も読んでいない。

てか、自身が老後に読み直すために書いている。

誰にも遠慮する必要などない。

 

 

長崎といえば、外国人のイメージが強い。

今でも長崎県民で70代以上の方は、外国人のことをバテレンと呼んでいる。

 

 

ウソなので、信用しなくていい。

 

くだならい冗談なので、先に進む。

清風堂グラバー坂店のチーズカステラを食べたかった。食べたかった。金なかった。仕方ない。金ない。

 

で、

ようやく国宝大浦天主堂に到着した。

 

入場料? お金がいるのか…

せちがらい世の中だ。

Oh,myGod!

神のご慈悲を。アーメン。

 

ちょっと横から目線で。

見上げてみた。

さらに見上げた。

倒れそうだ。

中は撮影禁止だ。

理由は知らない。

そのくせ、パンフレットなどには中の写真が載っている。

意味不明だ。

神は写真を撮られたくらいで怒らない。

右のほほを打たれたら、左のほほを差し出すような方だ。

大浦天主堂の階段を下ると、文明同のカステラ総本店があった。

お土産に買っていきたいところだが、まだしばらく九州にいる。

車内に放置すると、傷んでしまうのでやめとこう。

でも食べたかった…

自分用に買えば良かった

 

 

ではまた

【カトリック浦上教会】

昭和34年(1959年)11月1日 - 再建される。

住所: 〒852-8112 長崎県長崎市本尾町1−79 

電話番号: 095-844-1777

 

 

【大浦天主堂】

国宝・世界遺産

元治元年(1864年)12月29日竣工

住所: 〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5−3 

電話番号: 095-823-2628

入場料1000円で、隣接する『キリシタン博物館』も見ることが出来る。

高さは測ってないので、知りません。

 

 

 

 

 

浦上天主堂に来たのは大学3年の時いらいになる。

年末の酒屋のアルバイトで20万円もらったので

年明けの1987年1月に幼なじみの友人と大阪府堺市から車でやってきたのだ。

 

34年ぶりに見上げた浦上天主堂。

満月が出ていた。

 

 

ただ天主堂の周りの雰囲気って、こんな感じだったかな…

正直なところ、よく覚えていない。

当時は階段を昇ったように記憶していた。

いい加減なものだ。

こんなスロープがあったのか。それともあの後で出来たのか、

スロープの方がオッサンにはありがたい。

助かる。

 

正面からみた浦上天主堂。

初代は原爆の被害を受け、こちらの天主堂が再建されたのは

昭和34年(1959年)のようだ。

浦上天主堂の説明看板に詳しく書いてあった。

 

悲しみのマリア像

原爆の被害で指が欠けているということは

ホテルに帰ってから知った。

 

こちらは聖ヨハネ像

下はヨハネパウロⅡ生の胸像↓

浦上天主堂の中は、ミサの真っ最中のようだった。

さすがに中は撮影できない。

浦上天主堂から大浦天主堂へはとても歩いてはいけない。

いや根性があれば歩けるのだろうが

そんな根性は持ち合わせていない。しんどいし、時間も無い。

夜も遅いので、いったんホテルに帰ってから

翌朝出直すことにした。

 

車は市営の駐車場に泊めた。看板の現在地から20時の方向にある。

1時間300円で、あとは30分おきに150円だったと思う。

 

長崎と言えば、カステラ。

長崎堂のカステラ本店がグラバー坂の手前にあった。

 

グラバー園に続くこちらのなだらかなグラバー坂を上がっていく。

大浦天主堂までは150mほどかな。

歩けないこともない。てか、歩かないといけない。走る必要性はない。

あたり前だ。

ボウリング発祥の地は、長崎市らしい。

ここで長崎県人がボウリングをしなければ、須田開代子やさわやか律子さんこと中山律子の

活躍も無かったし、70年代初期のボウリングブームも無かったし、

オレ竜の落合博満もプロボーラーを目指していなかったことだろう。

言っている意味のわかららい人は無視すればいい。

どうせ、こんなブログ、誰も読んでいない。

てか、自身が老後に読み直すために書いている。

誰にも遠慮する必要などない。

 

 

長崎といえば、外国人のイメージが強い。

今でも長崎県民で70代以上の方は、外国人のことをバテレンと呼んでいる。

 

 

ウソなので、信用しなくていい。

 

くだならい冗談なので、先に進む。

清風堂グラバー坂店のチーズカステラを食べたかった。食べたかった。金なかった。仕方ない。金ない。

 

で、

ようやく国宝大浦天主堂に到着した。

 

入場料? お金がいるのか…

せちがらい世の中だ。

Oh,myGod!

神のご慈悲を。アーメン。

 

ちょっと横から目線で。

見上げてみた。

さらに見上げた。

倒れそうだ。

中は撮影禁止だ。

理由は知らない。

そのくせ、パンフレットなどには中の写真が載っている。

意味不明だ。

神は写真を撮られたくらいで怒らない。

右のほほを打たれたら、左のほほを差し出すような方だ。

大浦天主堂の階段を下ると、文明同のカステラ総本店があった。

お土産に買っていきたいところだが、まだしばらく九州にいる。

車内に放置すると、傷んでしまうのでやめとこう。

でも食べたかった…

自分用に買えば良かった

 

 

ではまた

【カトリック浦上教会】

昭和34年(1959年)11月1日 - 再建される。

住所: 〒852-8112 長崎県長崎市本尾町1−79 

電話番号: 095-844-1777

 

 

【大浦天主堂】

国宝・世界遺産

元治元年(1864年)12月29日竣工

住所: 〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5−3 

電話番号: 095-823-2628

入場料1000円で、隣接する『キリシタン博物館』も見ることが出来る。

高さは測ってないので、知りません。