Claude Codeのセミナーを受けてまた少しだけど進んだ。

しかしSkillsやサブエージェントの作り方はまだ不明。ここをコンテキストと共に創り上げていかないといかんね。当分はClaudeCodeの学習は続けないと。

かなり前の梅の花の写真を見るともう随分前のことに感じる。でももう3ヶ月近く前の2月はじめの頃なので、もう大昔と言ってもいいかも。


しかし ClaudeCodeの学習はなかなか進まない。

植物の進歩くらいのスピードで進めばいいのにねえ。


目に見えて毎日大きく変化しないけど、1週間もすると大きく変化する植物のようでありたい。




今年もツバキの季節は終わった。


この写真は咲きはじめの頃のもので、「さあ今からだな」という期待を感じさせてくれていた時の写真。


花が終わった今はこの時の気持ちが蘇る。




花は咲いている時間がそんなに長くないものが多くて、それだけに時間の流れというものを改めて考え直させてくれる。


時は不思議

時は悲しい


岡田斗司夫のYouTubeを見ていて面白いことを言っていた。


そもそも人気者と表現者のモラルは真反対で、人気者は高い道徳規範を持って守らなければならないのは、お金や名誉などの特権をもっているからだと。


アイドル、芸能人、テレビタレントそして今や政治家も上級国民と言われている人はこの人気者に属している。


一方、表現者はそのモラルを拡大破壊する方向性を有しているのだから、モラルを求めるのはそもそも意味がない。


作家である筒井康隆が最も勢いがあった頃「作家というのは殺人を認め、それを最もやいものに昇華するのがその本質だ」というようなことを言っていたらしい。


そしてこれらはどちらも必要不可欠で、共にないと人は生きてはいけないものなんだと。


ノブレス・オブリージュというフランス語でこれは端的に表される。貴族は一般人よりも高い道徳が求められると。


それは古くは戦争に行くのは貴族の次男三男が主だったことにも表れている。


ベッキー(人気者)とゲスの極み乙女(表現者)が不倫したのはそもそも組み合わせとしておかしいといあのは分かりやすい例え。


アイドル(人気者)と中島みゆき(表現者)の両方がこの世に必要なのは必然だ。


表現者は誰もがロックだと言い、人気者はポピュリズム(人気取り)であり創造的ではないとも。


すご〜く納得。











リハックで角幡(かくはた)さんという探検、作家の49歳の人と、俳優の東出さんとディレクターの高橋さんの対談を前編後編合わせてみた。

余生という言葉は私には理解できない。サラリーマンじゃないからだろう。働ける時はずっとそうだし、働けなくなったとしても私にとっては余生じゃなくて、生きている時間。

自然に浸っていることそのものが楽しいというのはすごくよく分かる。

承認欲求とか少なくなってきてるからかもというのもなるほどなあと感じる。角幡さんも東出さんも同じことを言ってるが、私も同じ感覚がある。

東出さん曰く
「芸能の世界ってエベレスト登った人が凄い!」と言われる世界。自分もそれくらいのことをしたいと思いある程度の山を築いたと思った後に例のスキャンダル。あれ?!エベレストってこんなに簡単に崩れるの?!というくらい多くの人が去った。今は裏山で十分楽しいし充実した人生を歩んでいる
というような趣旨のことを言ってたけれど、この感覚は凄くよく分かるなあ。

私も小自然で十分楽しめる。なんなら近くの公園だも良いし、広めのアゼでもプランターだも良いくらいだ。まあ時には広めの公園に行きたくなるけど、山にまでは行かなくても良いかな。

実家はそういう意味では丁度いいんだよな。

近所の椿。


これからまだまだたくさん咲くだろうな。つぼみがいっぱい付いてるから。





しばらくは楽しめそう。


花がつぼみから咲く時が一番エネルギーに満ちてて近くにいると元気になる。


春は色々と花が咲くから良いね。

梅、蝋梅、桜、スミレ、ツバキ、ツツジ、フジ、モクレン、チューリップ。


髪にも肌にも20年くらい使ってる。

香りも好き。



たまんないね。