気になる場所へ〜 江戸三十三間堂 | ふぅの想いのまま…心赴くまま…

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先日、深川の正覚寺のブログをアップした時に、東都三十三間堂?江戸三十三間堂?について、ちょろっと触れました


明治に廃寺になってしまったお江戸の三十三間堂の跡地が気になり、浅草寺をお詣りする前に門前仲町に立ち寄りました


場所はこんな位置




中々跡地が見つけられずにふらふらと歩いてようやく見つけました




江戸 三十三間堂の跡地のモニュメント

ここに三十三間堂が有ったみたいです


江戸三十三間堂は、江戸時代に深川の富岡八幡宮の東側に有った仏堂で御本尊は千手観音菩薩


京都の三十三間堂の通し矢🏹の流行を受けて浅草に創建しましたが、大火🔥で焼失…

深川に再建しました


そうか…元は浅草に有ったのね~


浅草寺に行く前に寄れるかしらん?


深川に移る前の三十三間堂の跡地に行って見ることにしました


矢先稲荷神社の場所に有ったみたい…








浅草三十三間堂跡の案内板

京都の三十三間堂の通し矢の流行を受けて寛永19年(1642年)弓師備後という者が、幕府より浅草の土地を拝領し、京都の三十三間堂を模してお堂を建立したのに始まります

翌寛永20年4月の落成では、徳川家光の命により、旗本 吉田久馬重信が射初めを行いました
三十三間堂の守護の為に、矢先稲荷神社も建立されました

その後、元禄11年(1698年)勅額火事🔥により焼失しましたが、元禄14年(1701年)富岡八幡宮の東側に再建されました

明治になり廃寺となってしまい、御本尊や古文書は深川の正覚寺に移管されたということです
御本尊は戦災や震災で焼失🔥しましたが古文書は今でも正覚寺に現存保管されています








江戸の三十三間堂…

そういう流れだったのね~


京都の三十三間堂は千躰の千手観音菩薩が圧巻な場所だから、江戸の三十三間堂も仏堂がメインだと思ったら、そうではなくて武芸の為の通し矢🏹が目的だったとは…


江戸時代は戦国の様な戦いはない筈だから実践の為の武芸上達ではなく、イベント的な要素だったのかな…


因みに焼失🔥した千手観音菩薩は一体しか無かった様です😱