神社仏閣巡り…三田 魚籃寺 大信寺 長松寺 | ふぅの想いのまま…心赴くまま…

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4月23日に高輪 三田界隈を巡った浄土宗寺院の続きです
前回の記事はこちら↓


道往寺の次は魚籃寺へ〜




魚籃寺の山門
  江戸時代後期 19世紀前期建立




六地蔵





塩地蔵
高輪の海中から出現したとされる




亀石🐢





馬頭観音🐴




本堂  明治36年再建
浄土宗寺院の魚籃寺は、三田山 水月院 魚籃寺てて号します

元和3年(1617年)豊前国中津にある円応寺に法誉上人が建立した塔頭である魚藍院を前身とします
寛永7年(1636年)三田に移転

承応元年(1652年)法誉上人の弟子 称誉が現在地に観音堂を建て、本尊をここに移しました
寺院名は空海作の魚籃観世音菩薩に由来するとのことです

本尊 魚籃観世音菩薩
江戸三十三観音霊場25番札所




本堂扁額




御前立の魚籃観音
本尊は秘仏です




薬師如来

空海作の魚籃観世音菩薩と有りますが、元は真言宗寺院だったのでしょうかね?🤔

次は大信寺へ〜




大信寺の山門




山門前には石村近江の顕彰碑



石村近江墓の案内板

石村近江は中国や琉球から伝わった三線を改良して、江戸三味線として定着させた三味線製作の始祖だそうです




本堂
浄土宗寺院の大信寺は、宝島山 峯樹院 大信寺と号します
別名 三味線寺

慶長16年(1611年)涼公上人が江戸幕府より南八丁堀に寺領を拝領して創建
この時の山号は峰島山で有りました

寛永12年(1635年)江戸城🏯拡張に伴い三田に移転
明暦の大火 弘化の大火🔥で2度全焼しますが、その後復興

寛永13年(1636年)江戸における三味線製作の始祖とされる石村源左衛門が当寺に葬られ、以後当寺は三味線製作者 石村近江累代の墓所となりました

御本尊  阿弥陀如来



本堂扁額




墓所入口正面には地蔵菩薩


次に長松寺に向います🏃🏃




山門前には荻生徂徠墓の案内板と石碑







長松寺の山門




石仏




境内の宝篋印塔




本堂
浄土宗寺院の長松寺は、壽命山 無量院 長松寺と号します

江戸城和田倉門の増上寺境内にあった豊国庵という念仏堂に、永正元年(1504年)増上寺6世 智雲が隠棲

慶長16年(1611年)八丁堀に移転する際に大円寺と改称
元和8年に長松寺と改め寛永12年(1635年)現在地に移転しました

御本尊  阿弥陀如来



本堂扁額








荻生徂徠墓の案内板
荻生徂徠墓は国指定史跡に指定されてます
荻生徂徠は、江戸中期の儒学者で江戸幕府の政治的な助言者として活躍した方だそうです



左2基は荻生徂徠の先妻と後妻のお墓の様です



何基か纏まってます



右の少し大きなのが荻生徂徠のお墓みたいです