弾丸、西へ…京都 泉涌寺塔頭 来迎院 | ふぅの想いのまま…心赴くまま…

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泉涌寺塔頭 西国三十三所霊場の今熊野観音寺を無事に発願…


泉涌寺山内には幾つが塔頭寺院が有るのでちょっと寄って見ます





塔頭寺院の来迎院の寺号標と山門が見えて来たので立ち寄らせて頂きます




来迎院の縁起案内板




弘法大師像




独鈷水井戸



独鈷水井戸の弘法大師
独鈷水井戸は、弘法大師が独鈷という仏具で掘り当てた井戸




本堂と宝篋印塔

真言宗泉涌寺派 泉涌寺塔頭寺院の来迎院は、明応山 来迎院と号します

寺伝によると、大同元年(806年)弘法大師空海が、唐で感得した三宝荒神像を安置して来迎院を開創したとされます

建保6年(1218年)泉涌寺の月翁智鏡律師が、藤原信房の帰依を受け諸堂を整備し泉涌寺の塔頭寺院となりました

応仁2年(1468年)応仁の乱により伽藍は焼失🔥し荒廃、その後天正2年(1574年)中興の祖、舜甫明韶が織田信長の援助により再興
慶長2年(1597年)前田利家が諸堂を再建徳川家からも援助を受け、ようやく再興を果たしました

御本尊  阿弥陀如来
泉山七福神めぐり4番札所




来迎院のサイトよりお借りしました🙏

画像は大石内蔵助の念持仏の勝軍地蔵
本尊の阿弥陀如来(運慶作と伝わる)と共に本堂に安置されています




石段の上には荒神堂



荒神堂



荒神堂扁額



来迎院のサイトより画像をお借りしました🙏

弘法大師が刻んだとされる日本最古の三宝荒神坐像で、安産の守護神として信仰されています



荒神堂の奥には鳥居と鎮守社の三宝大明神




来迎院のサイトより画像をお借りしました🙏

大石内蔵助が建立した茶室 含翠軒

来迎院の住職が大石内蔵助の親族だった為、松の廊下事件以降大石内蔵助は住職を頼りこの地で過ごします
浪人となった同志を呼び集め、討ち入りの密談をしたと言います




来迎院の御朱印


来迎院は盛りだくさんの伝承が詰まった泉涌寺塔頭寺院でした


まさか、赤穂浪士の大石内蔵助ゆかりの場所だったなんて…

お茶室も拝観出来ますが、まだまだ先を急がねばならなかったので、今回は断念


日本最古の荒神様も祀られている来迎院

また来なくっちゃ!