鎌倉殿の13人ゆかりの地巡り…
二俣川の畠山重忠終焉の地→上浜田中世建築遺構群の次は上溝に移動〜
目的地の途中に地蔵堂が有りました
和田坂の石標
民家の敷地なので、道路側から写メ失礼しました
和田坂…ある時、和田義盛が坂のたもとで弁当🍱を食べ、使った箸🥢を地面に刺したら、それが根付いて大きな榎に成長しました🌳
その榎の有った場所を和田坂と呼ぶようになりました
残念ながら、榎の木🌳は無いようです
鎌倉殿の13人デジタルスタンプ
和田義盛の本拠地は三浦半島
何故、上溝に和田義盛?
横山党とは、武蔵国多摩郡を中心に治めていた豪族で、和田義盛の側室は横山党の横山時重の娘で、婚姻関係にあったので、武蔵国にも出向いていたのですね…
藤のツルで橋を架けたり、箸を🥢刺したら🌳になったりと、相変わらずワイルドな話が残ってますな、和田義盛…🤣
横山党は、和田合戦で和田義盛側についていたので、合戦後に衰退し滅んでしまいました
鎌倉殿の13人では、巴御前と和田義盛がクローズアップしてましたが、ちゃんと正室や側室がいて、義盛を支えていたんだよなぁ〜