京都で受け継がれる伝統行事、嵐山・法輪寺の十三詣り

 

舟木一夫

ツアーコンサート2026の曲㉓

学園広場

 

 本題に入る前に―。数え年で13歳になる子供が13番目に生まれた菩薩である虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)にお参りし、大人になるための知恵と福徳を授かるよう願う風習が「十三詣り(じゅうさんまいり)」です。旧暦3月13日や月遅れの4月13日を中心に、主に関西地方で「智恵もらい」「智恵詣」として行われます。関西では京都・嵐山の法輪寺の十三詣りが有名。帰る途中で振り返ると授かった知恵を落としてしまうとされるため、寺の前の長い渡月橋を振り返らないようにしながら渡る姿は、京都の風物詩です。

 

      

京都 神護寺 虚空菩薩像          

 

 

 本題に入ります―。舟木一夫さんがツアーコンサート2026(通常コンサート)のセットリストに選んだ曲にまつわる話を綴っています。第23回は1963年10月にリリースされた「学園広場」(作詞・関沢新一、作曲・遠藤実)です。舟木さんが今年のツアーで“デビュー当時の歌”として括っている「あゝ青春の胸の血は」から「学園広場」までの6曲はデビュー後2年半までの曲です。「花咲く乙女たち」が“ポスト学園広場”のスタートの曲になります。わずか半年ほどの差ですが、舟木さんには拘りがあり、どのコンサートでも明確に分けて歌っています。

 

      

 

 

    

 

<セットリスト>

(OPENING)

君へ心こめて

 

センチメンタル・ボーイ

青春の鐘

あいつと私

雨の中に消えて

くちなしのバラード

星の広場へ集まれ!

 

哀愁の夜

たそがれの人

高原のお嬢さん(バラードver)

湖愁

 

吉野木挽唄

小雪~小雪~

絶唱

 

(standing)

銭形平次

 

花咲く乙女たち

東京は恋する

北国の街

友を送る歌

 

あゝ青春の胸の血は

修学旅行

仲間たち

君たちがいて僕がいた

高校三年生

学園広場

 

~ナレーション~

宵待草

初恋(4番まで)

 

(ENDING)

あゝ荒城の月かなし

 

~ハミング「仲間たち」~

(ENCORE)

高原のお嬢さん(ロックver)

 

 

 舟木さんは1963年8月末頃、東京・西荻窪の遠藤実さん宅を訪ね、遠藤さんのピアノに合わせてデビュー後3曲目の「学園広場」を歌ってみました。リズムはドドンパ。舟木さんはワンコーラス目の終わりごろから妙な違和感を覚えて歌うのを止めました。二人の間で「何か変か?」(遠藤)、「変です」(舟木)、「そうか?」(遠藤)というやり取りがあり、少し考えた遠藤さんが「ちょっと待っていてくれ」と言って2階に上がりました。舟木さんは遠藤さんが降りてくるまで節子夫人が出してくれたカステラを食べながら待っていました。

 

                          

 

 2階で作業していた遠藤さんが40分ほどして降りて来て、再びピアノを弾いて「舟木君、これならどう?」と聞きました。つい先ほどまでの4分の4マイナーが4分の3メジャーに切り替わっていました。もちろん舟木さんは「これなら違和感がありません」と納得しました。それにしても、当時31歳のアブラの乗り切った先生が、デビュー間もない弱冠18歳の新人歌手の意見をすぐに取り入れて作り直したことに、舟木さんも驚いたに違いありません。この話からは、師弟関係のきずなの強さとともに、舟木さんの“ものおじしない性格”を感じますね。

 

     “ものおじしない性格”

 

舟木一夫を語る④ 堀威夫 | 武蔵野舟木組 2026

 

■デビュー日が決まった直後、堀プロ社長の堀威夫さんに呼ばれて「改めて言っておくが、この世界は厳しい。年間300人以上がデビューしているが、10年選手として生き残れるのは1%にも満たない。もし歌手を断念せざるを得なくなったらどうする?」と聞かれ、舟木さんは「僕は売れるために上京してきました。だから売れます」と答えました。

 

浅草国際劇場の公演参加Performances at Asakura Inernational ...

 

■1963年1月、橋幸夫特別公演が行われていた東京・浅草国際劇場で、橋さんと共演していた堀プロの先輩歌手が持ち歌を歌わず橋さんの歌ばかり歌っていました。楽屋で「そんなことで嬉しいんですか」と言うと、「ここに立つことがどんなに大変か、お前は分かっていない」と一喝されました。「僕が1年以内にここでワンマンショーをやったら同じ条件で出ていただけますか?」と畳みかけると「ああ出てやる!」。舟木さんは1年3か月後にワンマンショーを行い、先輩も出演しました。

 

 

■1963年12月に東京・新宿コマ劇場で行われた堀プロの公演で、ラグビー部員役で出演した舟木さんは台本を見て、担当プロデューサーに「この台本はひどすぎます。こんな実のない舞台はつまらないと思います。大御所の名前になっているけど、お弟子さんか誰かが代筆したとしか思えません。ゲネプロまでに直してもらった方がいいです」と言いました。後ろに演出家がいて「舟木君、きちんとやるから…」。そのひと言でした。 

 

 ところで、「高校三年生」を撮った大映側の大チョンボで2曲目の「修学旅行」を映画化できなくなりました。結局、「学園広場」は舟木さん出演の映画では初めて日活で撮影され、「高校三年生」から約1か月遅れの1963年12月11日に公開されました。監督は山崎徳次郎さん、共演は松原智恵子さん、山内賢さんら。「学園広場」のB面は同じ作詞&作曲コンビによる「只今授業中」ですが、映画「高校三年生」ではこの歌が挿入歌として使われ、映画「学園広場」では「高校三年生」のB面の「水色のひと」が挿入歌になっています。当時は同じ指揮に何曲も作られていたんですね。

 

      

 

       

 

“歌謡映画”の需要UP

 

 

 昭和30年代に“テレビの時代”になると、映画館の入場者数、映画館数とも減り続け、映画会社は安い製作費で観客を呼べる映画を作る必要性に迫られていました。

 日本映画製作者連盟によると、入場者数は33年の延べ11億2745万人、映画館数も35年の7457館をピークに、40年には3億7267人、4649館になっています。

 歌手のヒット曲を題材にした“歌謡映画”はそんな状況の中で需要が高まっていました。

 

 「学園広場」の撮影は11月に行われました。舟木さんは撮影に向かう車の中で台詞の7割、現場で残りを覚えるという超多忙ぶりでした。舟木さんはこの映画で「ケンちゃん」こと山内賢さん、「チーちゃん」こと松原智恵子さんと初めて出会うことになりました。舟木さんはこの映画を契機に、やはり松原さんとの共演作品「青春の鐘」(監督・鍛冶昇。1969年1月11日公開)まで、計16本の日活映画に出演することになります。ちなみに、松原さんとは5作品で共演しています。

 

      

 

 映画「学園広場」では脚本家・倉本聰さんが斎藤耕一さんとともに共同脚本として名を連ねています。倉本さんの著書「愚者の旅」(理論社)によると、ニッポン放送を退職後に水の江滝子さんの抜擢で日活の契約ライターになり、舟木さんや西郷輝彦さんらの“歌謡ドラマ”を執筆していました。台本が完成すると「御前本読み」という会議があって、日活の重役の前で朗読してチェックを受けました。声が小さいと「でかく!」と怒鳴られ、時には「もっと感情を入れて!!」などと注文され、中には退屈してイビキをかく重役もいましたが、そうやって鍛えられたと言います。

 

    

日活調布撮影所“創る力”展 日活100年の歴史とこれから

 

 映画「学園広場」には、コメディアンのトニー谷さんが両手の拍子木でリズムを取りながら「♪あなたのお名前なんてぇの?」と言うと、出演者のアベックがツイストを踊りながら答えるという日本テレビの人気番組「アベック歌合戦」が登場します。千葉県市川市の公民館で行われた本物の公開録音日の午前中に映画の撮影、午後にテレビの本番を撮るというスケジュール。舟木&松原がデュエットするシーンが撮影されるということで、普段は700人前後の観客が、当日は1800人以上で埋まりました。舟友さんの中で、私も行きましたと仰る方には当時の様子を教えていただけませんか。 

 

       

                     1950年事のトニー谷さん(Wikipediaより)

 

 舟木さんと松原さんがデュエットしたのは「高校三年生」と「学園広場」でしたが、松原さんは「当時、浅丘ルリ子さんのお宅でよくパーティーが開かれていて、チーコもいらっしゃいってよく誘われて、みんなで一緒に踊っていました。この映画の台本にツイストって書いてあったので、全然踊れなかった舟木さんにツイストを教えてあげた記憶があります。歌では私が歌いにくい高いフレーズを歌って助けていただきました」。舟木さんの第一印象について「丁寧で礼儀正しい方。あんなにお忙しかったのに撮影時間に遅れたことがないし台詞もしっかりしていらしたことを覚えています。歌手の方は発声練習がちゃんと出来ているから、すっと入って来ても台詞を上手に話されるんです」と話してくれました。

 

                           

 

 一方、舟木さんは松原さんの第一印象について、「ただただ綺麗な人だなぁって思っていました。ケンちゃん(山内賢)も二人とも映画館で観ていた人だから、共演しているというより観客目線の方が強かったですね」と話し、「日活はとにかく若い人が多くて、撮影所も明るく、若手に対する妙な圧迫感も一切なく、とにかく仕事がやりやすかったです」と語っています。舟木さんが映画「学園広場」をきっかけに、日活と関わりを持つようになったことは“俳優・舟木一夫”としての一つの土台を作ることになったと言ってもいいのではないでしょうか。舟木さんはこの後、松原さんを「チーちゃん」、和泉雅子さんを「マコちゃん」と呼んで親しく接することになりました。