東京・立川の国営昭和記念公園に咲く「ネモフィラ」=4月12日撮影
舟木一夫
ツアーコンサート2026の曲㉔
「宵待草」
本題に入る前に―。春雨の後に初めて見える虹を「初虹(はつにじ)」と言います。空気中の水滴に日光が反射して発生する虹は、夕立の後によく現れるので夏の季語ですが、「初虹」は晩春の季語になります。4月14日から18日頃は七十二候の「虹始見(にじはじめてあらわる)」にあたります。太陽の光が柔らかく弱い頃の虹で、まだ淡くはかない印象です。いよいよ春が終わりに近づき、夏に向かうサインでもあります。小林一茶の句に「初虹も わかば盛りや しなの山」があります。
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本題に入ります―。舟木一夫さんがツアーコンサート2026(通常コンサート)のセットリストに選んだ曲にまつわる話を綴っています。第24回は1973年6月25日にリリースされたアルバム「宵待草・竹久夢二の郷愁」に収録された「宵待草」(作詞・竹久夢二、作曲・多忠亮=おおのただすけ)です。このアルバムは30分を超える組曲で、芸能生活55周年の2017年に一度だけ全編を歌ったことがきっかけでCD化を求める声が日本コロムビアに寄せられ、2019年7月24日に初CD化(組曲「日本の四季」も収録)されています。
<セットリスト>
(OPENING)
君へ心こめて
センチメンタル・ボーイ
青春の鐘
あいつと私
雨の中に消えて
くちなしのバラード
星の広場へ集まれ!
哀愁の夜
たそがれの人
高原のお嬢さん(バラードver)
湖愁
吉野木挽唄
小雪~小雪~
絶唱
(standing)
銭形平次
花咲く乙女たち
東京は恋する
北国の街
友を送る歌
あゝ青春の胸の血は
修学旅行
仲間たち
君たちがいて僕がいた
高校三年生
学園広場
~ナレーション~
宵待草
初恋(4番まで)
(ENDING)
あゝ荒城の月かなし
~ハミング「仲間たち」~
(ENCORE)
高原のお嬢さん(ロックver)
竹久夢二は27歳の1910年夏、前年に離婚した後によりを戻した妻子とともに房総方面に避暑旅行をし、千葉県銚子市海鹿島の宮下旅館に宿泊します。ここで隣家の三女で当時19歳の長谷川カタと出会い、親しく話すうちに心を惹かれ逢瀬を持ちましたが、夏が終わると竹久は家族を連れて帰京。竹久は翌年、再びこの地を訪ねますが、カタが嫁いだことを知ります。いくら待ってももう現れることのないカタを想い、宵に咲き一夜で花を終える宵待草に自身のひと夏の恋を重ねて詩を書きました。
宵待草
待てど暮らせど 来ぬ人を
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬさうな
今宵は月も 出ぬさうな
1912年6月1日付の雑誌「少女」に発表された原詩は大きく異なっていましたが、翌年11月、上の3行詩の形で絵入り処女出版詩集「どんたく」(実業之日本社)に掲載されました。これにヴァイオリン奏者の多忠亮が曲を付け、1917年5月12日に開かれた芸術座音楽会で初めて演奏。翌年に「セノオ楽譜」の一編として竹久の表紙画で出版され、全国に歌が流行しました。翌年、ゆかりの地である銚子市海鹿島の海を見下ろす場所に竹久の肖像と「宵待草」の一節が刻まれた文学碑が建てられました。
竹久夢二の詩碑=千葉県銚子市海鹿島
竹久夢二
大正ロマンを代表する叙情画家で詩人。様々な色や柄の着物姿の女性を多く描きました。その独特なスタイルは「夢二式美人画」とも称されました。
1884年9月16日、 岡山県邑久郡本庄村(現・瀬戸内市邑久町本庄)の生まれ。早稲田実業学校専攻科に在学中、新聞や雑誌のコマ絵を描いて世に出ました。
1906年に岸環(たまき)と出会い、結婚。たまきは「夢二式美人」の原型になりました。二人の間に長男・虹之助が誕生しますが、二人は同居と別居を繰り返しました。この間、夢二はたまきの他にもお葉や笠井彦乃らと恋しました。夢二が1920年2月に描いた「長崎十二景」の1枚「灯籠流し」の後ろ姿の女性が1月に結核のため24歳で亡くなった彦乃と言われています。

夢二は1934年9月1日、結核のため長野県諏訪郡落合村で亡くなりました。享年49。
舟木さんはデビュー翌年の1964年5月18日、TBSテレビ系「ヒットショー」に出演し、浴衣姿で「宵待草」を歌いました。当時の雑誌の「舟木一夫 日記」に「この歌は実にいい歌だ。故郷の河原でも、やがて宵待草が咲くだろう」と記し、続けて「夜は山の上ホテルで雑誌社の対談。お相手は浜田光夫さん。浜田さんとは久しぶりで、楽しいお喋りのひと時を過ごす」と綴っています。 浜田さんとは3月14日公開の日活映画「仲間たち」で共演したばかりでした。いずれにしても、舟木さんは若い頃から「宵待草」という歌が大いに気に入っていたことが分かります。
舟木さんがアルバム「宵待草 竹久夢二の郷愁」を出すのはこれから約10年後の1973年6月25日で、28歳の時です。この年は7月7日に当時21歳で大学4年生だった宮城県仙台市の会社員の次女・松沢紀子さんとの結婚を発表しながら、10月29日に京都市内のホテルで“若気の至り”的行為を起こし、12月に予定されていた大阪・新歌舞伎座公演に穴をあけるという年でもありました。紀子さんは舟木さんの行為を非難することなく、翌年4月29日に東京・六本木にあったTSK・CCCターミナルで作家・山岡荘八夫妻の媒酌で挙式しました。舟木さん29歳、紀子さん21歳の時でした。
舟木さんはそれから約27年後の2000年9月1日から26日まで、1か月座長公演として東京・新橋演舞場で特別公演「宵待草―夢二恋歌―」&「シアターコンサート」を開きました。作・演出はジェームス三木さん。舟木さんが夢二を演じ、共演は岸たまき役の波乃久里子さん、笠井彦乃役の久野綾希子さんのほか、彦乃の父・宗重役を曽我廼家文童さん、東郷青児役を山下規介さん、浜本浩役を丹羽貞仁さんらが好演しました。ジェームス三木さんとは1998年8月の新橋演舞場、1999年1月の京都・南座で「おやじの背中―舟木一夫こころの旅路」の作・演出で気心が知れた仲でした。
1997年8月に「野口雨情ものがたり」を演じて以来これが演舞場での4作目となった舟木さんは、パンフレット(パンフレットは「宵待草―夢二恋唄」)に「ボクにとっては初めてと断言してもいいタッチの脚本のせいもあって、ただ、もうひたすら、ぶつかっていくしかない感じ。全ては、共にこの舞台を創り上げて下さる、諸兄・諸姉、そして、作・演出のジェームス三木先生をはじめとするスタッフのお力を頼りに夢二と向かい合ってみようと想います」と強い意欲を示しています。
また、三木さんは「『まるで新劇の台本みたいですね』。初稿に目を通した舟木一夫に、開口一番そういわれて、私はドキリとした。いけない。いつのまにか竹久夢二の劣等感が、私に乗り移っていた。芸術性、社会性にこだわり過ぎて、大衆性を忘れていた。演出の段階で芝居の楽しさ、面白さを、充分にふくらませなけれはならない。人間という生き物のどうしようもない悲しさ、そして思わず笑ってしまう滑稽さが、客席の隅々まで、伝わるようにしなければ」と記しています。舟木さんらしい!!

この時のパンフレットには、自らが乙女の頃に「夕月の乙女」を口ずさんでいたと言うほどの“大の舟木ファン”だった作家で脚本家の内館牧子さんも「現と幻と」という一文を寄せています。
現と幻と
内館牧子

舟木一夫という人は、いつでもどこか遠いところを見ているような、そんな目をしている。存在そのものに、しっかりと現実感があるのに、遠い遠いところを見ている雰囲気がある。この不思議なギャップに、誰もが引き寄せられるのだと私は思っている。私たちは舟木一夫という人に、現と幻を見るのだ。逆に言えば、現と幻を共棲させている人が舟木一夫だ。(中略)セーラー服の私は、夕暮れの道をいつでも「夕月乙女」を歌いながら帰っていた。一番好きな歌だった。「夕月乙女」を歌う舟木一夫に、私は確かに現と幻を見ていたといまでも思っている。 ※曲名は原稿のまま
舟木さんがパンフレットに書いた通り、脚本・演出が奏功したうえ、共演者をはじめスタッフの協力があって、舞台は連日満員御礼状態で大ヒットし、大成功を収めました。その後、新橋演舞場公演は舟木さんの舞台の“毎年のヘソ”(舟木さん)として恒例化することになりました。1997年8月から2021年12月まで舟木さんが新橋演舞場で演じた全公演を下の表にまとめてみました。途中、歌舞伎座の建て替えのために歌舞伎公演が演舞場で行われたことや、コロナ禍のために講演が出来ず休演になったため、間が空いている時期がありますが、基本的には連続して行われてきました。
<舟木一夫と新橋演舞場>
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