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絶景!世界遺産·鬼ヶ城


\46都道府県制覇27万km走破車旅好き/

絶景大好きトラベラーこと、あきらです。

いつもご覧戴きありがとうございます✨😊

 今回の車旅は、三重県熊野市

にある世界遺産鬼ヶ城です。




  世界遺産·鬼ヶ城とは?

その昔、桓武天皇(737~806)

の頃、この地に隠れて熊野の

海を荒らし廻り、

鬼と恐れられた海賊多娥丸

(たがまる)を、天皇の命を

受けた坂上田村麻呂(751~811)

征伐したという伝説が

残っています。 


その伝説に基づいて鬼の岩屋
と呼ばれていましたが、
後に鬼ケ城といわれるように
なりました。 
この物語を調べると大筋では
一緒だが、書かれている書物に
よって若干違うようです。 
2012年の1月5日発行 
熊野鬼伝説 坂上田村麻呂 
英雄譚の誕生 
桐村 英一郎氏著では、
「南紀熊野木ノ本浦鬼城物語
(江戸後期のものと思われる)」
の中の話を
現代語に直して書かれています。 
 鬼ケ城が断崖絶壁であり、
海からしか近づけない事が説明され、ここの鬼神が住んで郷民を
悩ませていや。
平城(へいぜい)天皇の頃、
大同年間(806~810)
鈴鹿山の鬼神を退治した
坂上田村麻呂将軍が、
紀伊国の鬼の話を聞いて、
討伐しようと二木島を経由して
船で岩屋へ近づいた。 
鬼の大将「金平鹿(こんへいか)」〈※海賊多娥丸(たがまる)
では無いようです〉は、 
手下を集め、敵は観音の加護が
あるので我々の神通力が
効かないかもしれないと
食料を運び込んだ岩屋に
閉じこもり、石の戸を閉めて
じっとしていた。 
坂上田村麻呂将軍が
攻めあぐんでいるとき、
沖の島の上に一人の童子が
こつ然とあらわれ、
弓矢を携えて将軍を手招きした。
童子はまるで菩薩のようだった。
かしこまる坂上田村麻呂将軍に
童子は「私が舞を舞うから、
軍勢も一緒に舞おう」と語り、
船を並べた舞台の上で舞い
遊んだ。その妙なる調べに、
鬼の大将は何事かと石の戸を
少し開けて顔を出した。 
田村麻呂将軍はここぞとばかり、
童子から授かった弓を引き、
矢を放つと、矢は金平鹿の
左眼に命中した。 



岩屋の中から800人もの手下
の鬼たちが飛び出してきたが、
田村麻呂将軍からの千の矢先に
ことごとく倒れた。 
千手観音の化身である童子は、
光を放って飛び去った。
童子があらわれた島を


「魔見るか」島(魔見ヶ島
(マミルガシマ・マブリカ))
と呼ばれる訳はこの物語に
よってのようです。 
熊野市のホームページの
観光案内には、
安時代桓武天皇の頃、
将軍坂上田村麻呂はこの地に
隠れ、海を荒らしまわって鬼と
恐れられた海賊・多娥丸の征伐
を命じられました。 
近くの烏帽子山に大馬権現の
化身の天女が現れ、鬼の隠れ家
(現在の鬼ヶ城)を教えたが
岩が厳しくそびえ、
磯は波が激しくとても立ち
寄れませんでした。 
その時、沖の魔見ケ島に童子が
現れ、舞い唄い、軍勢も加わって
大騒ぎをしました。
鬼神が油断をして岩戸を開く
一瞬に、将軍が神通の矢を放ち、
見事一矢でしとめました。
童子は光を放って北の峰に
飛び去ったので後を追って
行くと、紫雲たなびき、
芳香に満ちた洞窟(清滝の上流)
があり、守仏の千手観音を納め
安置しました。 とあります。 
この鬼ケ城にまつわる話は、
泊観音や大馬神社へと繋がり、
この地域に数々残る「鬼」に
まつわる話の一つとなっています。
また世界遺産、吉野熊野国立公園
そして国の天然記念物及び名勝
「鬼ヶ城」は、数度に渡る急激な
地盤の隆起と風·海蝕によって
造り出された他に類を見ない
奇岩地帯です。
1.2kmに渡り大小無数の洞窟が
有り、千変万化の趣が有ります。
「日本百景」「新日本旅行地百選」
に選定されています。
「桜の道」と呼ばれる遊歩道も
整備されており、春には2000本
の桜が植えられており
お花見を満喫することが出来る
ので今から楽しみです✨🎶

  • 世界遺産·鬼ヶ城の基本情報
  • 駐車場 第1駐車場(鬼ヶ城センター正面) 
  • :普通車70台、おもいやり駐車場2台、
  • 大型バス10台 
  • 第2駐車場(ホテルなみ前) :大型バス18台(第1駐車場が満車の場合) 
  • ■お手洗い : 
  • 有 【身体障害者用トイレ有】

  ※最後までご覧戴きありがとうございます✨😊