日本の皆様おはようございます。

 

 

備忘録として旅の話も記したいと存じます。

 

ところでムラーノ島では、早朝6〜7時に就業し、夕方3〜4時に終業するというガラス工房が普通でしたが、最近では、いずれにしても釜を24時間稼働させているということで、夜シフトを組むところもでて参りました。

 

AKIRAの勤めている工房は、かなり早くそのシフトを取り組んだ工房で、AKIRAは夜シフトです。夕方4時〜夜中の12時まで働いておりますので、帰宅はいつも12時半から1時になってしまいます。旅のお話は、その帰宅して彼の荷造りが終わるところから始まります。

 

 

AKIRAが帰宅するまで私は、自分の荷造りと、後は彼が帰宅して自分の物だけを用意すればいいところまでしておきましたが、先日お話しいたしましたように、ミラノから北へ向かう電車がストライキになると知っていたため、いつでも飲食できるように、普通のパニーノですが簡単に取り出せるよう飲み物の他に、間食用のつまみやお菓子をいくつかのパックに小分けにして用意致しました。

 

AKIRAが帰宅して荷造りをし、全て終わってベッドに入ったのは3時でした。3時半ごろ、母から誤発信メッセージが届くというトラブルがありながらも、起床したのは5時で、ガスの元栓や電源などを切り、戸締りを致しまして、時計を見ると既に5時45分で、家を出る時間になっておりました。 

 

駅に着き、ミラノ行きのフレッチャロッサは無事、時間通りにヴェネツィアから出発致しましたが、「朝イチの電車だから大丈夫だろう」と思えたのも束の間で、ストライキが始まる前にギリギリ乗れそうだったミラノから北へ向かう最初の電車の出発時間に既に遅れること5分に到着するというトラブルにまず巻き込まれてしまいました。

 

 

とにかく、ストライキでもミラノから北に行かなければならないので、北へ向かう電車のホームへ行き、出発電光掲示板を見ると、一応は何かしら運行しておりまして、どんなルートになろうとも、どんなに遅く目的に到着しようとも、「ミラノに泊まる」のはやめ、北へ北へ向かうことにしました。

 

 

ヴェネツィアでは降っていなかった雨もミラノで嫌な感じに降り始め、不安を煽られ、とても物悲しい移動となりました。

 

ミラノからはとりあえず、来た電車に乗り込み、レッコという町まで移動できました。

 

 

レッコからは、4回目までは数えておりましたが、その後はもう、バスや電車を何回乗り換えたか覚えていないくらい、とにかく「ティラーノという町まで行かなければならない」と係の人に告げ、ストライキ中に運行する臨時のバスや電車を誘導されるがままに乗り継ぎ、満員で乗り遅れないよう、忘れ物のないよう気を張りながらの移動となりました。

 

乗り換える度に段々と標高が高くなるのを感じ、気温も下がっているのが分かりました。

 

何度も緊張しながらのたくさんの乗り換えで大変でしたが、予定の時間から遅れること約2時間・・・

午後2時16分、イタリアにしてはたった2時間で、目的地ティラーノに到着できました。

 

 

上の写真はティラーノのTrenord(トレノルド)、イタリア側の駅です。

 

 

スイスの電車は普段通りに運行しておりますから、なんとか、ティラーノまで来られたので安心致しましたが、やはり、スイスの電車のチケット交換は不可能でした。

 

 

さて、トレノルドのストライキがありながらも、臨時のバスや電車がたくさん用意してあったのは、チケットの交換や払い戻し業務よりその方が、乗客の対応に一番簡単だったからのような気が致しました。

 

「臨時のバスや電車をたくさん運行させ、それに乗せる乗客へのインフォメーションや振り分け業務で苦労するのなら、普段通りの運行の方がもっと簡単なのでは?」というのが、ここまでの私の感想ですが、無事、ティラーノまで来られましたので本当に良かったです。

 

 

自宅からティラーノ駅までの移動時間:8時間半

 

 

 

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