自分自身の思い込み(観念)が良くないものの場合、「不幸な出来事や苦境」が起きます。
そして人は悩み、苦しみます。



(ヒーローのように)立ち向かって次元上昇に向かうのも良いですね。
でも、立ち向かう氣力や体力が無い場合には、スルーするのもアリだと私は思っています。
氣力も体力も無い、RPGで言えばHPもMPも無い状態でボスキャラに立ち向かっても瞬殺されるだけですから、得る物もありませんよね?



それならば、その問題は一度横に置いといて、氣力(MP)と体力(HP)の回復につとめながら、問題のクリア(ボスキャラ退治)方法や情報を集めていた方が効率が良いと思います。
問題解決をスルーしていてもRASがきちんと働いてくれていますから、知らないうちに情報が手元にあったりします。
これは本当に不思議ですよ。




私の家族は、人格障害者の両親と継母2人、姉2人です。
メンツの入れ替わりは所々ありますが、一番歳下の私が虐待対象だった事はずっと変わりません。


本来安全基地であるべき家庭の中に私が安心出来る場所などなく、常に緊張感に包まれていました。


詳しく説明すると長くなるので結論だけ書きますが、


・感情表現を封じられていつも無表情、不細工、外斜視
・嘘つき、見栄っ張り、知ったかぶり、自己正当化
・自分の意見を言えない弱虫のクセにカッコつけたがり、けれど承認欲求だけは人一倍ある
・運動苦手、勉強中途半端なくせに努力が嫌い、複雑な問題を考える事から逃げる氣分屋


パッと思い付いただけでもこんなにあって、何だか書いてて落ち込んできました(笑)


上に書いたのは子ども時代の私です。
見事なクソヤローっぷりでしょう?(笑)
こんな自分が大嫌いでした。


実母と離れたのは私が3歳頃だったと思います。
「お前が良い子にしていれば、また家族5人で暮らせるようになるから。お姉ちゃん達の言う事を聞いて良い子にしてるんだよ?約束だよ。」と言い残して別れた事だけ記憶しています。

「そうか!自分が良い子にしていればいいんだ!どんな事も我慢すれば、また家族5人で暮らせるんだ!」
そう思い、何をされても何を言われても、どんな思いをしても・・・・我慢しました。
「自分さえ我慢すればいいんだ」
そう思っても彼等の都合でキレられ、理由も分からず悪者にされる毎日。

「何がいけないんだろう?何で怒られてるんだろう?」
子どもの頭で考えたって、人格障害者の思考なんて分かるはずもありません。

人間は「分からない事」を怖れる生き物です。
内容がどうであれ、理由が分かれば落ち着くのです。

でも、どう考えても理由が分からない時、怖れから解放されたい一心で「理由を作り出す」んです。

「そうか!僕が運動苦手でドン臭いから怒られたのかも?ごめんなさい。ドン臭くてごめんなさい・・・。」
「もしかしたら、勉強出来ないから怒られてるのかな?ごめんなさい。馬鹿でごめんなさい・・・。」
「この前、お手伝いをきちんと出来なかったからかな?ごめんなさい。出来ない子どもでごめんなさい。」
「こんな子ども、要らないよね?同じクラスの◯◯君みたいな子どもだったら、家族の皆は喜ぶのかなぁ?」
「僕みたいな子どもが子どもで、弟で、本当にごめんなさい。産まれてこない方が良かったよね・・・」



実母が再婚し義弟の存在を知らされたのは、私が小学校5年生のときでした。
「母は自分ではない子どもの母親になったのだ。自分は、血の繋がった家族5人の幸せな家庭の子どもには、もうなれないのだ。」と悟りました。
それは、母の言葉を信じ、言いつけを必死に守ってきた私にとっては「絶望」以外の何ものでもありませんでした。


父親、継母、姉達から虐待を受けていた私にとって、実母の存在だけが望みでした。
「お母さんに抱きしめてもらいたい」
「お母さんに甘えてみたい」
「姉達の言うことを聞いていれば、どんな事も我慢していれば、お母さんと一緒に暮らせるんだ!」
そう思い、それだけを生きる望みにしていたのに・・・それはもう・・・・。


「それなら自分が親になろう!幸せな家庭を作る方になればいいんだ!」と氣付いた時、生きる氣力が湧いてきたんです。
でも次の瞬間、「こんな見た目も内面も悪い俺の嫁になる人なんて、いる訳ないよな。。」という大問題に氣付いたんです(遅)

だから「自分を変えたい!」と努力を始めるのですが、見栄っ張りのカッコつけなので「どうしたらいいか?」を誰かに質問なんて出来ません。
当時はネットもありませんから、本を読むしかなかったんです。
今で言う「内観」も、今思えば子どもの頃からやっていました。。
でも、基本的な思考が「人格障害者の思考」だから、内観したって本を読んで知識を付けたって結果が良くなる訳ないんですよね。。

OS(AndroidやiOS)がバグっているスマホをスキャン(内観)しても、最新のアプリ(知識)を入れても上手く動作しないのと一緒ですね。


そして16歳の時、様々な事情が絡み合い父親の元を出て、実母と継父・義弟の家庭にお世話になる事になりました。
実母の家族とは言え、他人の家庭に居候する形になるのですから高校に通うことを諦め、手に職をつけようと働き始めました。
ですが性格の悪さは簡単には抜けないので、ここでもさらに自分を大嫌いになる出来事に直面します。


仕事を一生懸命やっているのに認めてもらえない→クビになるかも知れないという恐怖→高校中退では他で働き口が無い(世間知らずの思い込み)→幸せな家庭を築けない・・・という思考が働き、自分を奮い立たせようと試みます。


「その程度の事も出来ないのか!!情けないヤツだ!!」
「もっともっと頑張らなきゃダメだ!!認めてもらえない!!」
「それしか出来ないのか?!この役立たず!!役立たずは要らない!!」
毎日毎日、寝る前にその日の仕事内容を思い出しては、自分で自分にこういった言葉を投げかけていました。


そうすれば、
頑張れる!
仕事が出来るようになる!
嫌われなくて済む!
と思い込んで、そういう言葉を投げかける事がベストな事だと信じていたんですね。

でも、これって子どもの頃の私が家族から言われてきた言葉と、ほぼ同じです。

最悪の結末になった未来を提示し、恐怖心で縛って奮起させる方法です。
体罰教師の指導法と同じですよね?
自分がされた方法しか知らないので、それが正しいと思い込んでいるor選択肢がないんですね。


この方法は、確かに短期間で結果を出すことを可能にします。
現に私は仕事が出来るようになりましたし、禁煙もダイエットも成功しています。

そしてスポーツチームも、一時的な結果は出すかも知れません。

ですが長い目で見た時、この方法では立ち行かなくなる時が必ず来ます。
これは断言出来ます。


何故かと言ったら、この方法は「劣等コンプレックス」を刺激して結果を出す代わりに、強烈な「自己否定感」を深く深く根付かせて行くからなんですね。


現に私は、同じような言葉こそ投げませんでしたが、同じマインドで後輩を指導し、ことごとく失敗しています。
劣等感を刺激すると「一時的な結果」は出すけれど「本人のやる氣」を奪ってしまうんですね。
事実、指導した後輩はみんな仕事が出来るようになりましたが、みんな辞めて行きました。

後輩に厳しくする以上、私も結果を出さなければなりませんから、極度の緊張感と恐怖の中で仕事をする事になります。
すると膝や腰、肩などに覚えのない痛みが出るようになり、頻繁にギックリ腰を発症するようになりました。
朝起きても布団から出られない、顔も洗えない。
酷い時には、寝返りしようとしただけで激痛で目が覚めました。
具合が悪いから布団で横になりたいのに、横になっても痛くて眠ることすら出来ません。

ふと氣が付くと、私の周りには敵しかいませんでした。


「コレではいけない!何かが違うんじゃないか?」
そうは思うのですが、「親を見返したい!俺は間違ってない!間違ってるのはあんた達だ!!って親に証明したい!」という思いの方が強く、潜在意識からの忠告を無視し続けたのです。


「負の連鎖を断ち切った」と言えば格好良いですが、決してそんな格好良いものではありません。
「自分を変えたい!」という一心だけでした。

ただ知識がない幼い頃からも漠然と思っていたのは、「自分がされて嫌な事は人にしない」「浮気はしない」「両親のような人間にはなりたくない」これだけでした。
父や母に聞いても2人で違う事を言うので真実は知りませんが、「離婚は父親の浮気が原因」と母親からは聞かされていましたので、「浮気」という言葉の意味も知らない頃から「浮気をしてはいけない!」、そう思っていました。
そして「自分を良く見せる事に心血を注ぎ、どんな手段を用いても相手を悪く見せようとしている、両親のような人間にだけなりたくない!」とも強く思っていました。


当時自覚はありませんでしたが、長女が産まれて私の頭の中にあったのは「良い父親、素敵なパパだと思われたい」という承認欲求でした。
承認欲求・・・つまり、
「素敵だと思われたい」
「凄いと思われたい」
という事は、現時点で「自分は素敵でもなく、凄くもない」と自覚しているって事ですよね?
冷静に見ると、本当によく分かりますね(笑)

だから、積極的に育児に参加しようという下心があったのだと思います。
オムツも替えも寝かしつけも、少しずつ覚えて行きました。


ただ1つだけ、とても苦手な事がありました。
それは「お風呂」です。

初めて長女と一緒にお風呂に入り、頭を洗うために耳を塞いでシャワーでお湯をかけようとしたら・・・いきなり癇癪泣きが始まりました。
アパートのユニットバスに響き渡る、怪獣の叫びのようなギャン泣き声。

この時に私の幼少期の記憶のスイッチが入ったのでしょう。
軽いパニックになりながら、なるべく冷静に考えようとしました。

「長女をお風呂でキレイにしなければならない」
「長女を泣き止ませなければならない」
この二つが頭の中でグルグルした結果、とりあえず頭の泡を流して風呂を出ようと考えました。

ですがギャン泣き中の長女はジタバタ暴れるので、頭にシャワーをかけたら間違いなく顔にかかります。
暴れているとは言え、柔らかくて小さな赤ちゃんを力ずくで抑える訳にも行きません。
氣が付いたら、「泣かないでくれよぉっっっ!おいっっっっっ!」と怒鳴っている自分がいました。

「あ、親だ・・・。俺が今やってる事は、大嫌いな自分の親と同じじゃねーか・・・。」と猛烈な反省とショックでフラフラしながら風呂を出て、呆然としていました。
妻には「お風呂も入れられないの?」的なイヤミを言われす始末・・・それから風呂に入れるのが物凄く苦手になりました。
「また泣かれたらどうしよう?」
「また、自分が親みたいになったらどうしよう?」
そんな不安や怖れが頭をよぎり、長女をお風呂に入れる事から逃げていた時期もありました。
でも心の中には「いつか何とかしなきゃ。このままではダメだ。」という思いが常にありました。



しばらくして、次女が産まれる日が近づいて来ました。
長女が帝王切開だったので、次女は出産予定日が確定していました。

臨月に入った妻は長女を連れて、徒歩5分の実家に戻り出産に備えました。
その時に妻の母から「ウチの娘(妻)は臨月で長女と遊んであげられなくなるから、なるべく時間作って長女と遊んであげて欲しい。」と言われ、私は早起きして、仕事に行く前に長女と遊ぶ時間を作りました。
正直に言うとこの時も、父性からの行動ではなく他者からの評価を下げたくないという理由からの行動でした。

私は飲食業なので週一しか休めませんし、1日の半分は店で仕事(その間30分だけ食事休憩)という状態です。
そして三度の飯より睡眠大好きな人間で、独身時代は睡眠を邪魔されると猛烈に機嫌が悪くなる人間でした(笑)

そんな私にとって早起きは「辛い」以外の何者でもありませんでした。

でもね、長女と遊ぶのは楽しかったんです。
土日は誰もいない保育園の遊具で遊ばせてもらったり、
雨の日は車の中で歌を歌ったり、本を読んだり、窓ガラスを流れる雨粒を眺めて過ごしました。

晴れた日は長女を自転車の後ろに乗せて、何となく覚えている童謡を歌いながら堤防を走りました。
歌い終わると「もっかい。もっかい。」と言ってせがむ長女。
同じ歌を何度も歌う事に飽きて、勝手に違う歌を歌う私。
アンコールが無いので振り返ると、爆睡している長女(驚)!
それからは紐で身体を結びつけてから自転車に乗せるようになりました(笑)

そうやって毎日毎日、二人だけで遊ぶ時間を作っていたのですが長女は言葉を発するのが遅く、私を「パパ」とか「お父さん」と呼ぶ事はありませんし、かけよって抱きついて来るなどの愛情表現も見られませんでした。
感情表現も薄く、私が迎えに行っても嬉しそうな表情をする訳でもなく、別れ際に寂しそうな素振りを見せる事もありませんでした。
「やっぱり自分は父親に向いてないのだろうか・・・長女に嫌われているのだろうか・・・」そんな思いがずっとありました。


そして迎えた次女の出産の日。
長女を妻の両親に預け、私は妻と2人で病院へ向かいました。
手術に向かう妻を見送り、病院の2階の端で椅子に腰掛けていました。
「そろそろ長女とジジババが来る時間だなぁ」と、窓の外の景色を見ながらぼんやり考えていると、反対側の階段からバアバの声が聞こえてきました。

そちらに目をやると、最初に階段を登って来たのは長女です。
このシーンはきっと一生忘れませんし、思い出すと今でも心が震えます。
ぶっちゃけ、思い出すだけで涙が溢れ出てきます(恥)

階段を登り切る直前、先に向こう側を見て何もないことを知り、こちら側に顔を向ける長女。
25メートルほど離れた廊下の先に私を見つけた瞬間、「とぉとー!!」と叫び、普段は走らない長女が一生懸命にかけよって来ました。
その後は廊下も長女の姿もグニャグニャに歪んでしまってよく覚えていないのですが、「あぁ、自分のして来たことは間違ってなかったんだ。この子は分かってくれていたんだ。」と実感し、「お父さん」として認められた氣がしました。

それと同時に「愛しい」という言葉の意味を、産まれて初めてクオリアを伴って体感したのです。
男女の愛とはまた別な、「愛する」という感情、そして「愛される」「必要とされる」ことの喜び。
自分の両親や姉達との生活では感じたことのない感情、そして大きな安堵感。

「産まれてきてくれて、出会ってくれて、本当にどうもありがとう」

長女と出会っていなければ、そして向き合って来なければ、この感覚は絶対に体感出来なかったと断言出来ます。
そしてこの時初めて、「父親としての第一歩」を踏み出せたのだと思っています。