次男に『20歳おめでとう!』のメッセージをしたら
『20年前を思い出しておれに感謝してください。』
…めっちゃ “俺様” な返事が次男らしい。
『はーい!(>_<)!』とお返事しました。
次男は、たまに私に言う。
『息子の中で俺が一番可愛いでしょ?』と。
それをそばで聞いている長男、三男は、ニヤニヤと笑ってる我が家。
次男の3歳の頃の写真を、私の部屋に勝手に貼って行く次男。
『俺の夢を見なよ!』とか言う。
俺様だけど、可愛い次男。
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次男の出産…
予定日より15日早く陣痛がきた。
『まさか陣痛?まだ早過ぎるよ~』と思いつつも、
痛みが起こる時間をメモに書いていきながら我慢していたけれど
20分おき、15分おき…と痛みの間隔が速くなってきたので、『やっぱりこれは陣痛だよな…もう生まれちゃうのかぁ、まだ小さくないかなぁ…』と妙に冷めた判断をしていた。
まだ明け方前の時間だったのだけど、病院に電話をして、痛みの感覚を伝えると『経産婦さんなので、すぐに入院の準備をして来てください。』と。
母に電話をして長男を見ていてもらい、夫に病院まで連れて行ってもらう。
母が到着するまでに、持っていく小さなオニギリや、ストロー付きの水筒も準備して…
長男の時は、入院から出産まで18時間くらいだったかな。
子宮口の開きが悪いといって、医師が『このままだと時間かかるから開きますよ~』と言われてとてつもない痛みの施術から数時間後に無事に産まれた長男。
今回は2度目なので、そこまでの時間は掛からずに産まれるだろうということで、『陣痛の時間用グッズ』を取り出して、陣痛室で痛みの波と向き合う。
陣痛の時間のために準備をしていたものは、チョコレートや飴も用意していたけれど、メインは、メモ帳とペンと時計。
冷静でいるために、陣痛の時間をメモに書き留めていく。
夫が何をしていたのかなんて、全く覚えていない。
腰を摩るでもなく、話しかけるでもなく、ただ近くに居たような、居なかったような?
…覚えていない。
出産は、自分だけが痛みと闘うものだと思っているので、アテにしていなかったのかなぁ?
看護師さん(助産師さんだったかな?)が、定期的に見に来てくれて、陣痛の間隔を言うと子宮口の開き具合をチェックし、『そろそろ分娩室に移動しましょう。』と。
分娩室に入り、痛みが走ると呼吸法をしていく。
この陣痛の痛みは、よく鼻からスイカが出るとか言い表すけれど…どうなんだろう??
確かに痛いのだけど、もっと違う言い表し方があるように思う。
呼吸法で痛みを逃し…そろそろ産まれるからと…いきむタイミングを横でサポートしてくれる助産師さん。
何度目かのいきみで、産まれた赤ちゃん。
元気な声が聞こえてくるので、ホッとしたのを思い出す。
綺麗になった赤ちゃんをチラッと見せてくれただけで、すぐに行っちゃったなぁ…
当時は【カンガルーケア】なんて無かった。
産まれたての赤ちゃんを触らせてもらえなかった。
ボーっとする意識の中、胎盤の処理や、切れた会陰部の縫合を済まし…暫く休んでから病室へ。
赤ちゃんの体重は、2,578g。
予定日より15日も早かったので、どの位まで育っていたのか心配だったのだけど、2,500g以上だったので、これもホッとしました。
午後になって長男と母が病室に来て、赤ちゃんとの対面。
夫が母に『ギリギリセーフ!』と言っていたのだけ覚えてる。
何がギリギリセーフかというと…【体重】
久しぶりの母乳や、オムツ替え…
長男の時に慣れているとはいえ、新生児の儚い感じに戸惑ったのも思い出します。
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出産って、どんな感じだったのか忘れていたけど、かなりハードだったな(>_<)!
陣痛のとき、必死で痛みの起こる時間をメモしていなかったら、もっと精神的にテンパっていたと思う。
自分の状態を、ちゃんと自身で把握していることで、冷静な思考が働いていたんだなぁと、今なら解ります。
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痛みを怖がって、痛みから逃げない
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痛みの感覚を弱めていくことの出来る呼吸法で、痛みを受け入れることをしていき、いつ終わるのかも解らない痛みと闘う時間は、
『赤ちゃんが産まれてくる』というゴールに向かっている時間だからこそ、痛みから逃げずにいられたのかなぁ…
そんなことを思い出した本日でした。
この写真から、もう14年経つのかぁ…(>_<)