私の施術の特徴を、ひとつ書きます。
『脳エステ®』に入る前に、全身の整体をしていき、エネルギーの滞っている部位を和らげていきます。
ある程度、緩んだあとに『脳エステ®』に入り、肩や、首、頭の辺りで意識を集中していきます。
すると、過去に傷めたことのある部位が、痛くなってくることがあります。
必ずではないのですが、たまにそういう方がいらっしゃいます。
腰や、膝などが多いのですが、足首だったり、腕に出ることもあります。
全身を調整しているときには、そんなに気にならなかった部位なのに、『脳エステ®』になって、暫くすると現れてきます。
そういう場合は、ひたすら痛みと向き合う、痛みを逃すために呼吸法を行っていくのですが…
これが、なかなかキツイ時があるようです。
私がその痛い部位に触れているのではなく、肩や首、頭に触れているだけなので、痛みが出ている部位に直接触れることはしません。
最初、その時に触れていない部位を痛がるなんて、どういうことだろうと…何が起こっているのか解りませんでした。
こんなことが起こるなんて誰からも習ってないし…
クライアントが痛みと向き合っている時に、私が出来ることは、応援することくらいしか出来ません。
痛みと向き合う、立ち向かうためのエネルギーをガンガンに送るような気持ちで、とことん集中した意識状態を維持し続けます。
すると、次に起こってくるのは、その痛みが出来た頃の事を思い出すそうです。自然に。
『あぁ、あんなこともあったなぁ…』と。
何かを思い出して…
『そんなこともあったなぁ…』とか
『そうだった、うんうん。』とか
『そういえば、そんなこともあったわ』
…などと思い、気持ちに決着がつくと、それまでメチャクチャに痛かったものがスーッと消えていくそうです。
過去の傷めた部位には、その当時の出来事に関連のある情動も張り付いているかのように、感情が動くこともあるそうです。
自然に涙が溢れてきたり。
その後は、うつらうつらとしたような感じになったり、寝ているのか起きているのかわからないような感覚になるのだけど、心地いいそうです。
ひと通り調整されていくと、最後の最後に、大きなデトックスが起こることがあります。
それは、邪気を出しているイメージ。
私が咳で出したり、クライアントが咳で出したり。
かなり酷く咳き込んでしまうこともありますし、クシャミで出ることも、アクビで出ることもあり…涙で出ることもあります。
多くの場合は、咳で出て行き、スッキリとして終了となります。
もうその頃には、どんなことを思い出したのかさえ忘れちゃいます。
きっと、辛かった過去の出来事なのだろうけど、もう思い出して、『そんなこともあったなぁ』と完了してしまったので、そのことはもう引っかかっていないようです。
それでいいのです。
過去の出来事がトラウマになっていて、そのトラウマによって無意識に自分自身を苦しめていたのかもしれないけれど、過去は過去。
もう二度とやってこない。
だから、『そんなこともあったなぁ』ということで、忘れちゃっていいのです。
過去の出来事、トラウマを『そんなこともあったなぁ』と思える状態というのは、どんな状態でしょうか?
その出来事がトラウマだった時は、その体験や、それにくっ付いている感情を抑圧しているようなイメージだと思うのです。
でも、もう、そのトラウマからは解放されていると思えます。
無意識下で、そのトラウマに囚われている状態からは脱していると思うのです。
人って、忘れ去っていたようなトラウマ体験によって、自己肯定出来ない時があるのですが、そのトラウマ的な出来事自体を、高い視点から見えた時には、その当時とは違う解釈が出来るのです。
ある人は、左利きを直されたことがトラウマになっていたそうです。
右手を使うことを強要され、左手を使うことを禁じられた子供時代。
大人になってから、左利きを直されることについては理解出来ているし、当たり前のことだと思っていたことなのに…
私のヒーリングの最中に、左手が動きたがり、その当時の出来事が鮮明に出てきたそうです。
左利きを直されるということは、自分はダメなのだと言われているのだと感じて悲しかったそうです。
なので、左利きを許してあげました。ご自身で。
すると、身体感覚で、左手が喜んでいるかのような感覚がしたそうです。
ヒーリング終了後は、左手もちゃんと使うことに決めて、爽快な気分になったそうでした。
私は、ヒーリングの最中に、腰が痛くなったことがあります。
以前書いた、自転車事件。
これに気づいてから、それに囚われていた自分のことがよ~く観えました。
無理矢理にトラウマ体験を思い出す必要がないのは何故かというと
トラウマ体験を思い出した時に、そのトラウマを、再体験するだけになって、更に苦しむことになる可能性があるからです。
ただでさえ大変なのに、トラウマを掘り返して、またその時の苦しさを再体験することになったりしたら…メリットはないのです。
デメリットだらけ。
トラウマは、そのトラウマ体験を思い出しても、『あぁ、そんなこともあったなぁ』と思える視点、抽象度に立てるまでは、放っておけばいいのです。
その時が来たら、自然に思い出して、完了していくのだと思います。
私のヒーリングの最中で、痛みが出たり、トラウマになったような出来事を思い出しても大丈夫なのは、何故だと思いますか?
それは、様々な理由が考えられるでしょう。
ある人が言っていたのは、私の『ヒーリングの場』にいるからだということ。
私のつくる『ヒーリングの場』では、苫米地式ヒーリングをしているのですが、私がこれまで学んできた様々な技術を用いて、クライアントが自分で抽象度の上がった視点に立てるようにと、誘導しているのだろうとのこと。
それが出来るようになるには、クライアントの心身がリラックスすることが重要であり、そのために、私は様々な技術を駆使しています。
クライアント自身が、自分のトラウマを思い出したとしても、それに翻弄されるのではない視点に立つことが出来るからこそ、そのトラウマになった出来事自体を思い出せるのだろうということ。
私がトラウマ体験を思い出すようにとは、誘導しないのです。
クライアント自身が、そのトラウマ自体を高い視点で認識して、それにもう囚われない抽象度に立てるような状態だからこそ、そのトラウマの出来事を自然に思い出して、『そんなこともあったなぁ』と完了出来るのだそうです。
なるほどなぁと思いました。
そうやって、クライアント自身が自分と向き合うことが出来る場が、私のつくる『ヒーリングの場』なのですね。
『脳エステ®』の最中での苫米地式ヒーリングは、そんな風にやっています。
その理論と技術は、まだまだ描き切れておりませんが、トラウマに対してのお話はこのような見方もあるということです。
先日のクライアントも、ヒーリングの最中にかなり痛みが出たようで…
『どうやったらこの痛みに耐えられますか?』と言っていました。
とことん痛みと向き合い、何か過去の出来事を思い出したそうですが、それに対して、『あぁ、そんなこともあったなぁ』と思ったら痛みも薄れていき、眠っているのか起きているのかわからないような意識状態から覚めた時は、もう痛みもなくなり、その過去の出来事は、覚えていないそうでした。
そう、それでいいのです。
トラウマ体験を思い出したとからといって、ずっとそれを覚えていなくていいのです。
もう完了して、囚われなくなったからこそ、忘れちゃうのでしょう。
私の自転車事件のことを思い出したのは、院長(母)の施術を受けている時でした。
施術中に、思い出したことを言語化したので、施術が終わった後に母から『自転車とか言ってたよ』と言われ、自転車事件のことも話し合い、トラウマ体験を意識に上げたままになりました。
なので、クライアントと話していて、過去の出来事に情動が張り付いていて、それに囚われて現在の自分に対して自己肯定出来ていないたとえ話として、必要な時にこの話しをしています。
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