「相手が自分の鏡になっている」
という視点の話はよく聞きますが、
本当は、【自分が相手の鏡をやっている】
という視点もありますよね。
【怒り】をこちらへ向けてくる人との関係性は、
【自分の怒り】を見せてくれている関係性かもしれないし、
相手の怒りを増長させて
相手に【怒りと向き合うチャンス】を与えている自分
……ということをやっている関係性なのかもしれない。
何が言いたいのか……
自分に【情動】を わかせてくる人の存在は、
お互いの【縁】によっての出来事だってこと。
どっちが “いい” とか “悪い” とか、
そんな評価は全く不要だと思う。
だって、【評価】は、役に立たないんだ^^;;;
【どんな評価】を、【誰】 へ対してしたとしても、
所詮、それは【その人の頭の中】でのことであり、
誰を縛るものでもない。
わかりにくいかな。。。
えっと、自分に対して何かをやってくる人がいたとしても
その人のやっていることに対して
【どんな意味をつけるのか】は、自分次第だからだ。
先日書いた 「負けず嫌い」という日記。
http://ameblo.jp/akira-0324/entry-11270307903.html
子供の頃の私には、ピアノ講師は、悪魔だった。
親にも叩かれたことが無い私へ体罰を与え、
罵倒し、「お前には価値がない」と、
私へ “劣等感” を 深く刻み込んだ嫌な人。
でも、Renさんに
「すごいじゃない!あきらさん!」と言われて
私の“無意識“ でやっていたことが “意識” に上がってからは
あのピアノ講師は、
【私は誰にも支配されない!】ということを
トレーニングした相手であり
「私はちゃんと自己表現をやり通すことができる!」という
“自信の源” を 築いてくれた 唯一の相手なのです^^
振り返って思えば、
ピアノ講師は自分の言うとおりにしない子供が許せなかったのでしょう。
支配出来ない相手へは、【恐怖心】が現れるものだから。
【怒りの情動】を表面に出している人ほど、
実は不安で不安でしょうがないのかもしれない。
だって、無意識状態では
生命維持をするための反応が最優先されるものだから
【怒り】という情動に対して しっかり向き合っていて
その仕組みが解っているので、
意識的に【怒りという情動】を扱うことができる人もいらっしゃいます^^
上手く使っておらずに、わいてくる怒りに翻弄されている場合は、
無意識に【怖い】という反応をしているのだと私は感じています。
支配出来ない相手は、怖いのです。
勝てない相手の存在は驚異なのです。
でも、なんで支配したいの??
ここにも、ある働きが起こっています。
(……このお話は、また別の機会に書きます。)
そして、そういう様々な【関係性】が いつでもあるもの。
互いの縁が 深くなったり 浅くなったりする中で、
何かに気付き、発見し、成長していく人は成長していく。
そういうものなんですね^^
な~んだ。
悪い敵なんてどこにもいなかった^^
そのとき、その時の自分を見せてくれる相手や
凄い自分を形作るための出来事を起こしてくれる相手がいて
私は日々そんな中で 無意識の自分が何をやっているのかわからないから
悩み苦しんでいただけだった。
私主演の映画のワンシーンの中に現れてくる人々は、
色々な形で私に課題を与えてくれる存在。
泣かされたり、怒られたり、怒らされたり。。。
悲しんだり、喜んだり、楽しかったり^^
冷たくされたり、暖かく包み込んでくれたり^^
そして、私も誰かの主演の映画のワンシーンの中で、
わいわい ガヤガヤ と色々な情動を起こさせているのかな^^
という視点の話はよく聞きますが、
本当は、【自分が相手の鏡をやっている】
という視点もありますよね。
【怒り】をこちらへ向けてくる人との関係性は、
【自分の怒り】を見せてくれている関係性かもしれないし、
相手の怒りを増長させて
相手に【怒りと向き合うチャンス】を与えている自分
……ということをやっている関係性なのかもしれない。
何が言いたいのか……
自分に【情動】を わかせてくる人の存在は、
お互いの【縁】によっての出来事だってこと。
どっちが “いい” とか “悪い” とか、
そんな評価は全く不要だと思う。
だって、【評価】は、役に立たないんだ^^;;;
【どんな評価】を、【誰】 へ対してしたとしても、
所詮、それは【その人の頭の中】でのことであり、
誰を縛るものでもない。
わかりにくいかな。。。
えっと、自分に対して何かをやってくる人がいたとしても
その人のやっていることに対して
【どんな意味をつけるのか】は、自分次第だからだ。
先日書いた 「負けず嫌い」という日記。
http://ameblo.jp/akira-0324/entry-11270307903.html
子供の頃の私には、ピアノ講師は、悪魔だった。
親にも叩かれたことが無い私へ体罰を与え、
罵倒し、「お前には価値がない」と、
私へ “劣等感” を 深く刻み込んだ嫌な人。
でも、Renさんに
「すごいじゃない!あきらさん!」と言われて
私の“無意識“ でやっていたことが “意識” に上がってからは
あのピアノ講師は、
【私は誰にも支配されない!】ということを
トレーニングした相手であり
「私はちゃんと自己表現をやり通すことができる!」という
“自信の源” を 築いてくれた 唯一の相手なのです^^
振り返って思えば、
ピアノ講師は自分の言うとおりにしない子供が許せなかったのでしょう。
支配出来ない相手へは、【恐怖心】が現れるものだから。
【怒りの情動】を表面に出している人ほど、
実は不安で不安でしょうがないのかもしれない。
だって、無意識状態では
生命維持をするための反応が最優先されるものだから
【怒り】という情動に対して しっかり向き合っていて
その仕組みが解っているので、
意識的に【怒りという情動】を扱うことができる人もいらっしゃいます^^
上手く使っておらずに、わいてくる怒りに翻弄されている場合は、
無意識に【怖い】という反応をしているのだと私は感じています。
支配出来ない相手は、怖いのです。
勝てない相手の存在は驚異なのです。
でも、なんで支配したいの??
ここにも、ある働きが起こっています。
(……このお話は、また別の機会に書きます。)
そして、そういう様々な【関係性】が いつでもあるもの。
互いの縁が 深くなったり 浅くなったりする中で、
何かに気付き、発見し、成長していく人は成長していく。
そういうものなんですね^^
な~んだ。
悪い敵なんてどこにもいなかった^^
そのとき、その時の自分を見せてくれる相手や
凄い自分を形作るための出来事を起こしてくれる相手がいて
私は日々そんな中で 無意識の自分が何をやっているのかわからないから
悩み苦しんでいただけだった。
私主演の映画のワンシーンの中に現れてくる人々は、
色々な形で私に課題を与えてくれる存在。
泣かされたり、怒られたり、怒らされたり。。。
悲しんだり、喜んだり、楽しかったり^^
冷たくされたり、暖かく包み込んでくれたり^^
そして、私も誰かの主演の映画のワンシーンの中で、
わいわい ガヤガヤ と色々な情動を起こさせているのかな^^