仲間と、渋谷サロンでミーティングをしていると……


私の今気になっているテーマの話になりました。



心の奥底の話も遠慮なく出せる関係の仲間。



なんやかやと、二人で話していると、

最終的に解ったのが




「私は負けず嫌いである。」




……ということでした。


戦いが怖いし、嫌いな私なので


「え~!なんで~!」とびっくりなのですが、

実は、負けず嫌いでした。


この負けず嫌いをパワーとして使っていたことにも気付き、

戦いを挑んでくる人を引き寄せていたことまで観えて……


そんな事が無意識に行われていた事が解ったので

今後は戦わないでもパワーを出す方法を選択出来るようになりました^^



す~っごく気楽になった。




仲間と話していると、スコトマがどんどん外れます。


私は、ピアノを小学2年生のときから習っていたのですが、

そのピアノの講師は、女性で、幼稚園でもピアノを教えている人。


近所のお友達が通い始めたというので、

母から勧められて私も習いに行くようになったのですが……


このピアノの講師は、叩くんですよね。


まだ小さい子供の背中や頭、手を。


ちょっとでも間違うと ピシャリ。


「練習をしていないでしょ!」と怒り、ピシャリ。




何度も何度も叩かれる事が嫌で、

毎週水曜日の放課後はお腹が痛くなっていました。


でも、こんなことをされているとは親にも言えない。


ピアノの練習をしていかない私が悪い。。。


ちゃんと弾けない私が悪い。。。



そんな風に考える子供だったので、ず~っと我慢して

6年生まで通い続ける間に出来上がったのは



【ダメな私】 


【私は出来ない人間】というような


 “劣等感の塊” でした。




そんな私でも、聞いた曲を楽譜にすることは得意でした。


毎回、ピアノのレッスンの前に、講師がピアノを弾くのを楽譜にする。


それは毎回、いの一番に完成して、しかも正確に出来るので

得意になって講師へチェックしてもらうために楽譜を持っていくと……



「こんなことが出来たってダメなのよ!!」と怒られる。。。



ますます、

【私はこんなことが出来てもダメな人間なのだ】と思っていきました。


自分の得意なことが出来たって、

不得意な事が有る自分ではダメなのだと。



私の “劣等感の形成” は、

ピアノのレッスンで培われていました^^





この話を仲間に話していると、仲間からの質問。


「それで、あきらさんはピアノの先生が言うとおりに

  ピアノの練習をするようになったの?」と。



私 『まさか!練習なんてず~と辞めるまでやりませんでしたよ!』



仲間 「すごいじゃない!あきらさ~ん!!」



私  『え??なにがですか??』



仲間 「すごいわよ~!ちゃんと自己主張していたのね~!!

      そのピアノの先生の言うこと、叩くことに納得がいかない!って

      ちゃんと自己主張していたじゃないの^^」



私  『自己主張ですか??私がそんなことしていましたか??』



仲間 「そうよ~^^ ピアノの先生に支配されて言うことを聞いちゃう子は

      そんな時は一生懸命に練習するようになったりするのに

      あきらさんは、その先生の言動に納得がいかない!って

      支配されずに、ちゃんと【先生の言うとおりにしない】ということで

      ピアノの練習をしないという行動でやっていたじゃない^^」


      「すばらしいわ!あきらさん^^」



私  『え……私って、そういう形で自己主張をしていたのですね。。。』


   『……ってことは、、、本当は、

   私って凄いんじゃないですか!?』



仲間 「そうよ^^ あきらさんは

     ちゃんと “自分で見極める目”

     を持っているのよ^^」




。。。。。思いっきりスコトマが外れたのと同時に、自信が湧いてきました。



子供の頃から、負けず嫌いの私は、

ピアノ講師の女性のヒステリックな言動に反抗して

ピアノの練習しないということを無意識に選択していたようです。



無意識でやっっていたので、

なにがどうなっているのか解らずに【劣等感】を作っていたけれど


意識に上がったら、全く別の自分を発見できました。