粉ミルク


明治のステップは、衝撃的でした。


市民団体から指摘されるなんて


食品会社として本当、ハズカシィお話ですね。


事故の頃の製造物は、注意が必要なのに


検査の強化はしなかったのかな?


パパママの信頼を失う羽目になってしまいました。


これに懲りて、検査はもう少しシッカリしてくれそうですが


はてさて。。


それにしても


あのころの首都圏


どういう状態だったのかがよーく分わかります。


原因は外気を取り入れたミルクの乾燥工程にあるのではないかと言われています。


検出されたのは


最大キログラム30、8ベクレルのセシウム。


ということは


今は検出されなくなってしまった放射性ヨウ素は、どのくらいあったのでしょう??


比率では、ヨウ素の方がはるかに多かったのでしょうね。


そのころの、


放射線量を観測していたのは


新宿百人町 足立区役所 日野個人観測所 東京大学 etc..



http://www.city.adachi.tokyo.jp/001/pdf/d06500174_2.pdf





。。。ということは、このころの空間がいかに汚れていたか


ということを。再び思い知らされる


復習のような事件です。