留学生日記66~1995年ストその6・悲劇・被害の数々~ | パリと音楽と大学と

パリと音楽と大学と

パリにて声楽、シャンソンを指導。パリの音楽学校在学中より、フランス各地・ヨーロッパで様々なコンサートを経験。フランス国家公認声楽講師資格。アラフィフの物語を振り返るつもりです。

音楽学校へは往復4時間。(それより短いレッスン時間のためであっても)


そのほかには演奏会の練習のためオペラコミックまで自転車で通った。当日、演奏会場にも自転車で行った。この日は雪まで降った。広い会場であり、本当は有料のところ、当日無料で開放となった。しかし、オーケストラと合唱・ソリストの構成の我々に、客はたちうちできなかった。舞台の方が、俄然人数が多かったのである。


この冬は寒かった。

寒かった上に雪までふるとはひどい。

笑い話で客の方が少ないというのはあるが、

このときの演奏団体はまともであるので、普通なら客は入っていたはずだ。

おかげでしばらくギャラがすぐ出ませんでしたとさ。


最後に、余り光栄ではない話を付け加える。光栄ではないが自分の非とは思っていないできごとである。


音楽学校にはストのまっさなかに「声楽コンサート案内」がはり出されていた。会場が音楽学校であるので、私は卒業生のコンサートかとかなり真面目に思っていた。

しかし、日にちは一月のバカンス明け。個人的には12月の自転車通いで疲れきっていた。電車でも一時間半かかるところに、コンサートを聴きに行く気持は全くない。しかも夜である。午後8時過ぎには無人駅となり人も少なくなるようなおそがい(名古屋弁=おそろしい)ところにある会場に足を運ぶ気は全くない。声楽の先生がいるのに、なぜ、この私にコンサートをしろと頼まないのだろう?失礼だ。この場合はノーギャラであることが予想されるが、見栄もある私は真面目にそうとも思ったのだ。


さて、そのコンサートが気がついたら終わっていた。一月。バカンス明けにコンサートをやる方が間違っている。と思うくらいだ。学長に呼ばれてみると「なぜコンサートに来なかったのか」というのだ。「声楽の先生はいないのかと聞かれて恥をかいた」という。


「スト直後に田舎町のコンサートに来る気はない」


と今なら言えるかもしれないが、言われた内容にまずはショックを受け、悲しいかな10年前であるので、たいしたことは言えなかったのである。


「なぜコンサートに来なかったのか」には(今なら)

「招待してもらっていない」といっておこう。

「クラスのピアニストも、コンサート企画担当者も、誰も何もいわなかった」と。そんなに大事であるなら、まず伝えるが良い。これは自ら招いた恥ではないのだろうか。そもそもストの直後である。

「生徒に言わなかったのか」はもちろん同じ回答をあてはめる。ストの直後である。全員そろった非がめったにない。だいたい、知らない歌手の宣伝は、しようがないのである。私の教えていることと、ぜんぜん違う内容だったらどうするおであろうか。


はらわたは煮えくり返ったが、口がついていかないかなしさよ。


屈辱のストであった。



それでも私には精神的・身体的なダメージだけだった。


きくところによると、このストの影響でつぶれた中小企業8000件以上。実際にはそれ以上の会社がつぶれているであろう。会社がなくなるということは、つまり失業者を生み出していることになる。失業者対策を常に打ち出していかねばならぬフランスなのだが、ストを許したことで、逆に失業者を増やすという実績を作ったのである。


日本ほど話題に上らないだろうが、このために命を絶った人もいないとは言い切れないではないか。



私がストに関して怒りに狂うのは、こんな事情があるからである。

ああすっきりした、といいたいところであるが、ストはまだ未来の話だ。