留学生日記50~10人目の先生~ | パリと音楽と大学と

パリと音楽と大学と

パリにて声楽、シャンソンを指導。パリの音楽学校在学中より、フランス各地・ヨーロッパで様々なコンサートを経験。フランス国家公認声楽講師資格。アラフィフの物語を振り返るつもりです。

ノートルダムと、パリコンセルヴァトワールの両立は、可能だった。


ノートルダムの方は個人レッスンの時間は固定、他の練習のスケジュールなどは比較的早く決まる。コンセルヴァトワールの古楽科は、終末に集団の授業があり、あとは個人レッスンなので、曜日の決まったレッスンもあるが、時間の融通はきくし、変更もできた。


学外での声楽レッスンも続けた。なにせ大好きな古楽界に、あの歌手、この歌手を育ててきたという人だったから。(次の生徒がジェラール・レーヌで、真っ赤になったこともあった)もっとも、ロック歌手もいて、インドネシアのヴォーカル、ニコラが入ってきたこともあったが・・・



でもときどき困ったこともあった。

アパートにたどり着き、インターフォンを押すと


「アキコ・・・私風邪なの・・・」


と死にそうな声が返ってくることもあったのだ。


当時はまだ携帯もない。仕方ない。

(それにしても私の電話番号なかったのかな?電話してくれれば良かったのに?)


まぁ、こういうことにいちいちハラを立てていると、パリ・フランス生活というのはやっていけないのである。

ドタキャン、普通のことなんだから。


だから、ダブルブッキング(重ねてスケジュールをいれてしまうこと)を、長い間免れた、というのはラッキーなはずだ。



それは、もう、その後ずっと後になってからの話ではあるが・・・