ノートルダムと、パリコンセルヴァトワールの両立は、可能だった。
ノートルダムの方は個人レッスンの時間は固定、他の練習のスケジュールなどは比較的早く決まる。コンセルヴァトワールの古楽科は、終末に集団の授業があり、あとは個人レッスンなので、曜日の決まったレッスンもあるが、時間の融通はきくし、変更もできた。
学外での声楽レッスンも続けた。なにせ大好きな古楽界に、あの歌手、この歌手を育ててきたという人だったから。(次の生徒がジェラール・レーヌで、真っ赤になったこともあった)もっとも、ロック歌手もいて、インドネシアのヴォーカル、ニコラが入ってきたこともあったが・・・
でもときどき困ったこともあった。
アパートにたどり着き、インターフォンを押すと
「アキコ・・・私風邪なの・・・」
と死にそうな声が返ってくることもあったのだ。
当時はまだ携帯もない。仕方ない。
(それにしても私の電話番号なかったのかな?電話してくれれば良かったのに?)
まぁ、こういうことにいちいちハラを立てていると、パリ・フランス生活というのはやっていけないのである。
ドタキャン、普通のことなんだから。
だから、ダブルブッキング(重ねてスケジュールをいれてしまうこと)を、長い間免れた、というのはラッキーなはずだ。
それは、もう、その後ずっと後になってからの話ではあるが・・・