殿、利息でござる! からの無私の日本人を読んで思うこと | とある八戸人の歴史探求記

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八戸人の知らない八戸を教えたいと思っているだけの八戸人の記録

先日、阿部サダヲさん主演の映画 殿、利息でござる!を観てえらく感激して原作本 無私の日本人をも読み終えました。
まずは映画のあらすじ。
時を遡ること今から250年前の江戸時代。場所は仙台藩内の吉岡宿。吉岡宿の人々はタダでも重い税金に苦しんでいる上に、伝馬役という宿場から宿場へお上の荷物を運ぶ仕事を頼まれていて、夜逃げする者もでるほど悲惨な状況でした。穀田屋十三郎はそんな宿場の行く末を案じてはいたが手段が思いつかないでいました。 ある時そんな思いを宿場一の知恵もの 菅原屋篤平治に打ち明けた所・・・大金を集めてそれをお上に貸し付けて年に1度利息をもらい、それを宿場の皆に分け与えてはどうか? それを聞いた十三郎は、これしか宿場を救う方法はない!と信じて自らの財産を整理して参道者集めに奔走します。目標は1000両(約3億円)果たして1000両集まるのか?そして、藩は異例のこの願いを受けるのか?・・・
てな感じのストーリーです。このお話しは実際にあった話がもとになっていて、原作を読んでみましたが、かなり史実に近いようです。
原作の無私の日本人のタイトル通り、自分は置いておいて街のみんな、街の行く末の為に行動を起こす姿が何とも言えない清々しさを感じさせるストーリーでした(°∀°)b
さて、自分の住む八戸にも、まさに無私の日本人がいたことをどれだけの八戸人が知っているんでしょうか?
彼の名は 蛇口伴蔵 と言います。
伴蔵は1810年生まれの八戸藩士。21歳の時に江戸勤め番を命じられました。その際に木崎流砲術指南の立花文助から易学を学びました。儒学者になろうと考えていた時に、立花から「まずは家産修るをもって最用事となさん。財豊かにしてしかる後に為すことあらばその欲することに従わん。」と言われて蓄財に励み、世に尽くす決意をします。 その後20年にわたり商人侍と蔑まれながらも倹約蓄財に励み、水田約30町歩、現金約3万両を貯めて48歳から八戸の利水事業に着手します。
当時の八戸地方では天明、天保の飢饉等で苦しい状況を救いたい!という思いがあったんでしょう。 伴蔵は土木工事の知識を学ぶ為、十和田三本木の開拓をしていた新渡戸伝親子に資金提供したそうです。その後、初めに大杉平、糖塚地区に水田を作れるように水路を引く計画を実行しますが、十分な水量が得られず失敗。 次に蒼然平に階上岳から水を引く計画を実行しますが、土質が悪くあえなく失敗しました。 そして計画中止の2年後の1866年に伴蔵は病で亡くなってしまいました。
結果だけを見れば伴蔵のやった事業は全部失敗でした。でも、その思いは後の世に引き継がれ、八戸平原開拓事業として形は変わっても成し遂げられたわけです。
南郷区泥障作(あおづくりと読む)には、伴蔵の水路の跡と記念碑が残されています。


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八戸にいたこの偉大な無私の日本人をもっと八戸の人々に知ってもらいたいですね。小学校の道徳で取り入れるとかね。
大きく話は脱線しましたが、無私の日本人の姿が見られる映画 殿、利息でござる! おすすめです('-^*)/
それでは(^-^)ノ~~