上田城跡公園の一角で発掘調査をしていたのは知っていた。
昨日、現地で説明会があると知ったので行ってみた。

縄文時代の遺跡でも出たかと思ったが
時代が一桁も違っていた。

400年ほど前の川の流れを知る遺跡が出たのだと・・・。
これが、真田時代の堀跡である可能性が高いそうです。

真田氏が築いた上田城の守りは
千曲川と矢出沢川の流れを利用していたそうです。

下の模型は真田時代後(仙石時代)の上田城の様子です。
左側が千曲川で、せり上がった硬い地層の上に
上田城があるのが分かります。

でも、真田時代の様子は分からないことが多いらしい。
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今回の発掘で旧矢出沢川の流れが確認でき、
真田氏は、これを堀に利用していたと思われるそうです。

今回見つかったのは、上田泥流層と呼ばれる固い地盤です。
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反対側にも上田泥流層の堅い地盤があり、
千曲川からせり上がっています。
この上に上田城があります。
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今回見つかった矢出沢川の泥流層も深い溝になっていて
それを堀の側面として利用していたと見られるそうです。

今回は深く掘って、それを確認まではしないそうですが・・・。

たかが4~500百年前の土地の様子も
わからないことがある事に驚きます。

泥流層がどのようにして出来たのか・・・、
更に更に昔は海の底だったとか・・・

この土地が、どんな遍歴を経てきたのか、興味は尽きません。

上田泥流はどこから来たのか?
この層に含まれる岩質から、烏帽子岳
から浅間山に至る火山列のどこかで発
生した事は推察されるが、詳しい場所
についてはいくつかの説がある。
 上田公園下の駐車場からお城に登る
道沿いは上田泥流を観察できる好地点
である。ここでは、下に礫岩層があり、
その上に薄い泥の層を挟んで上田泥流
が乗っている。
 礫岩層は円礫で安山岩が多いことか
ら、古千曲川の河床礫と考えられる。

http://www2.ueda.ne.jp/~moa/ueda-mf.html






今日も航空祭の動画を載せます。
2015.11.3入間航空祭、動画(6)

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