Vol.983-3/3 R巻頭-95。歴史(観て歩き)レポ-県都編:11<一瀬神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.983-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:11<一神社

17.一瀬神社  <撮影:2018.06.04>

一瀬(いちのせ)神社の社叢には学術上価値の高い植物が多い。この森を構成する樹木は、アラカシ・ヤブニッケイ・ナナメノキ・バクチノキ・クスドイゲ・クスノキ・クロマツ・ヒノキ・クヌギ・ムクロジ・エノキ等である。なかでもバクチノキは、弥谷(いや)山(多度津町・善通寺市・三野町の境界)に数本あるが、この社叢(しゃそう)には数多く、胸高幹周(むねたかみきまわ)り90cmの大樹もある。バクチの木の意味は、この樹皮(じゅひ)が脱落することから、博奕(ばくち)に負けて金銭を失い裸(はだか)になるのに似ているのでこの名が付く。

また、ムクロジは目通り幹周り4.1m、樹高27mと県下最大である。昔、この果実の黒い種子は羽根突きの球となり、果皮は石けんの代用として使っていた。樹木のほか、下草(したくさ)にホソバカナワラビ、イズセンリョウ等もあり、この社叢は高松周辺の古い自然を伝える森として貴重である。     (高松市HP)

 

<所在地・外観>

▼一瀬神社-高松市中山町1202-1

▼一瀬神社-マツが主体となる前の、植物相の原風景

 

 

JR高松駅から「ことでんバス」に乗り、バス停「根香口」で降車し、県道6号線を東に少し進み直ぐに右折、一般道を南下して県道161号線(さぬき浜街道)を南に潜り、住吉川に沿って約700m進むと一瀬神社の入口に着く。

 

▼バス停「根香口」、一般道を南下-前方奥に青峰

 

▼県道161号線との立体交差点地点(左→右へ進む)、一般道を南下

 

▼住吉川沿いに南に進む-1

 

▼住吉川沿いに南に進む-2、右側に一瀬神社の森

 

▼一瀬神社の入口、一瀬神社に着いた

 

 

目の前の鬱蒼とした森が、「一瀬神社社叢」(県天然)である。

 

<概 要><歴史遺産>

▼一瀬神社-天然記念物碑、社叢の説明板

 

 

生えている主な植物の中で、特にバクチノキは県内稀種に属し、薬用として栽培されたとも云う。

ムクロジも、本県最大である。

周囲約1.3m・高さ約25mのフジも有り、社殿北側のクスノキに絡みつき、綺麗な花を付ける。

 

▼一瀬神社-社叢1

 

▼一瀬神社-社叢2

 

▼一瀬神社-社叢3

 

▼一瀬神社-社叢4

 

▼一瀬神社-社叢5

 

▼一瀬神社-社叢6

 

▼一瀬神社-社叢7

 

▼一瀬神社-社叢8

 

 

現在、高松市の辺りは松林が主な樹木と成っているが、かつてはこの社叢のような姿であった事が偲ばれる。また、下草はほとんどホソバカナワラビであって、これほど広く密生する所は珍しい。

 

▼一瀬神社-下草

 

 

「一瀬神社」は、社伝によれば、智証大師(円珍)が根香寺(中山町)を開いた時に建てられたと云う。

 

▼一瀬神社-1

 

▼一瀬神社-2

 

▼一瀬神社-3

 

 

また、円珍は市之瀬明神のお告げに依って根香寺の千手観音を刻んだとも云う。

 

▼根香寺の千手観音(web引用-水彩画風変換)

 

この社叢が今日まで保存された理由は、根香寺と一体の聖域とされた事であろう。

 

▼根香寺-山門

 

▼根香寺-本堂、大師堂

 

 

根香寺周辺を含む青峰(あおみね)が開墾され始めたのは、第二次世界大戦後の事である。

 

▼青峰の山容

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀