キリスト教関係者以外の方には『?なんじゃそりゃ』なんですが、聖書の1つの物語です。
聖書には、イエス様という救世主に関わる物語とは別に、その前の時代の神様の物語があります。
イエス様が新しい契約をしてくださったと言う意味で、聖書の後半は『新約聖書』と呼ばれます。
ルツ記は、そっちじゃなくて、もっと昔の神様との契約を扱った『旧約聖書』の方です。

……ということはですね。実はカトリックでは『新約』の方を扱うことが多いし、儀式も多いんです。
生粋のカトリックの方にはあまりおなじみがない、ワールドの事なんですけども。

この本では、割とメジャーな『予言者モーゼが荒野を彷徨う羽目になった事件』の真相と。
メジャーではないんですが『なぜか、異邦人(イスラエルの民ではない種族出身)の女性が、イスラエル人の義理の母親に仕えて、シンデレラストーリーを成し遂げる』というエピソード
の二つが、主題となっています。

というか。
『結局のところ【イスラエル】は、どういう風に生まれ、育ち、なりゆくのか』
っていう事を作者は主張したかったんだろうと読みました。
(作者様、ちがっていたら、ごめんなさい)

……割と難解な専門書の部類に入る気がします。小説、ではありますけどね……

実は、プロテスタント教会の児童部屋で育ったような自分なので、モーセの出エジプト系の絵本は何冊か覚えてます。
割と有名なところで、神様の力で海を真っ二つにした、とか。天からマナという食料を与えられていたとか。
そもそも実は、ユダヤ系の民族の出自なのにエジプトのファラオの娘に育てられていたという、過去持ちのモーセ様です。

奴隷根性の、ど、の字もしらない。むしろ、当時の世界の神とも崇められていたファラオと育った精神構造。
生まれはともかく育ちは、指導者側だったわけですよ。

でも、そのエジプトにとどまっていた奴隷であったユダヤ民族の民を連れて、約束の地を目指すという旅にでるんです。
一世代目の奴隷のユダヤ人たちにとっては「とりあえず生活できてたのに、荒野に連れ出すなんて、死ねというのか」的に、ついてくるわけで。
……モーセ的にも扱いずらかったろうなーと思います。

奴隷根性、ついてる人って、なんでもかんでも、指導者のせいにしたがるもん。

結局、約束された地【カナン】の割と近くまで、行くのですが。
戦力として、民族が、成立しなくて、土地を奪えない、という羽目になります。

そこで、神様はモーセに対して
「自分を信じなかった罰として、40年間荒野を彷徨え」
という課題を出したことになってますが。

40年間あれば、一世代目の人間は死に絶え。
子供は幼少期から教育を受けさせれば、戦士になる。


という事実があったから、40年だったんじゃないかというのが、先生の御主張でした。
なかなか、マトを得ている気がしないでもないです。

しかも、その40年間で、いわゆる【ユダヤ教】が成立。のちに、キリスト教・イスラム教を産む母体となったというのもありそうです。
つまり【イスラエル】とは、モーセがエジプトから連れ出した奴隷の子孫の中で、神を信じるよう育てられた子供の成人した組織、です。

と考えると
「国が無かろうが、ユダヤ人関係者であれば、民族に組み入れられ、その組織の一員となることができ、神様に守られ、常勝する」
ということになるわけなんですが。

そこで【ユダヤ民族に生まれなくても、婚姻によって、民族に認められることもある】という例が。
ルツ記なんじゃないかなーっていう感じです。

生粋の【神様に選ばれた夫婦】だった女性は、夫と二人の息子を亡くしています。
二人の息子の嫁は【神様の言う通り】に行動し、未亡人となった今でも義理の母親に仕えています。
働きにでた嫁は、畑の持ち主に目をかけられ。義理の母親はその畑の持ち主と嫁を結婚させ、子供を作らせます。
ややこしい習慣法に基づき、その子供は、義理の母親のモノ(つまりイスラエルの民)となり。

その家系図は、イスラエルの一番栄えた時代の王、ダビデ・ソロモンにつながっていく、という……。

聖書ってある意味予言の書でもあり。後付けされた歴史書でもあるので、ないことではないというかその辺どうだろうとは思いますが。


まあ。
出自がユダヤ人ではなくとも、ユダヤの民の子供を持つことは、できるってことらしいです。
だから、純粋なユダヤ人って実はいないかもしれないって、ちょっと思いました。

ユダヤ人であるためには、母親がユダヤ人でなければならないっていうのが建前なんですけどね。


正直にいうと、旧約聖書の世界にはあまり関心がなかったし、物語としては面白いけど関係性は今でもない気がします。
新約の世界において、異邦人であること(ユダヤ人でないこと)は信仰の問題ではなくなっているので。

「……多分、そうなんじゃないかなって思ったことを小説にしたかったんだろうな」
っていう、フラットな感想を、私は持ちました。

信仰心がないわけではないんだけど、キリスト経由天のお父様に感謝、というタイプなので。
(もはや、プロテスタントもカトリックも関係なく、祈ることが感謝くらいになってきた)
自分が、主流とは、絶対に思ってませんし、皆様(作者様)の信仰心には頭がさがります。

ただ。
私が願うことは、旧約の世界のように、日々が争いに満ちたりせず。
新約の世界で、感謝をして生きて生きたいってことだけ、なんだなーと。



確かにこの一冊で一気に、旧約聖書の世界が広がるとは思います。
旧約聖書の世界をわかりやすく説明しているという一点においては、読む価値があると思います。
ただ。
旧約聖書の世界に関心がない方には、あまり、意味がないし。
わくわくするエンターテイメントっていうわけではないことを、前もって知っていた方がいい気もします。
小説がロマンであることは間違いないですが、そのロマンに酔えそうもない自分には微妙な一冊でした。

 

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