Winston コレクション から | NASCARドライバー尾形 明紀

Winston コレクション から

今日はとても良い出会いがありました。


僕が NASCARを知った時代は ウインストンたばこが冠スポンサーをしていた時代で

トップカテゴリーは NASCAR Winston Cup Series で 僕が 現在 ヒッコリーなどで参戦しているローカルレースもウインストンたばこがスポンサーをしていて Winston Racingシリーズでした。 

スポーツの世界で たばこの宣伝が制限されていく時代の中で、1971年から 長年スポンサーをしてきた Winstonたばこ も2003年で NASCARレースから撤退してしまい、その後 テクノロジースポンサーやエナジードリンクスポンサーへと時代の流れと共に移り変わってきました。


僕がNASCARを知り夢中になり始めたのが 1990年前半で NASCARも Winston Cup の全盛期で、凄い思い入れもあるし、ミニカービジネスをきっかけにアメリカで繰り広げられている 様々なNASCARビジネスを学ぶ事ができた事は現在の活動に大きく反映されています。 

 

 

今日 この 80年代の WINSTONたばこの時計を譲ってもらうのに、人に会いました。
そしたらNASCAR Legends ドライバー Elmo Langley の孫でした。 僕はミニカー屋をやっていたお陰で 多くのレジェンドドライバーの名前を認識しているので、名前を聞いて直ぐにわかり、話が盛り上がりました。 彼のおじいさん(Elmo Langley)が亡くなった話を始めて知りました。

ここで 書きたかった事は、このレジェンド ドライバー Elmo Langley選手、1996年の鈴鹿サーキットで初開催された NASCARレースでペースカードライバーをする為に日本に来ていました。 
そしてペースカーのテスト走行中に心臓発作で亡くなってしました。 その隣に乗っていたのも またレジェンドドライバーのBuddy Baker選手で、彼の心臓発作で、助手席からハンドルを操作したなどの話を聞きました。  Elmo Langley ウィキペディア  にも記載があります。


そのような事が NASCAR 日本初開催時の鈴鹿サーキットで起きていたなど知らず、NASCAR レジェンドドライバーの1人が日本でこのようなかたちで失くなっていた事を、今 知った事が情けないけど 知れて良かったので、シェアしたくて書きました。
元々 大事にする物だったけれど、Elmo Langleyファミリーから譲ってもらった Winston時計なので、更に思入れがうまれました。

時計部分が壊れて動かなかったので直してから、僕のWinston Cup、StockCar Racingコレクションの1つに加えます。




おまけで更にビックリしたのが、帰宅して時計を買った人からメールがあり、彼の奥さんが 僕の事を知っているみたいで、 聞いてみると 僕が別の事で一緒に仕事でしている人でした、かなり大笑いでした。
Its a small world です!