しばらくぶりのブログになります。
読者のみなさま、お元気ですか?
私は元気です。
元気ですが、いろいろ考えること、気づき、迷いがやっぱりあって、
なかなか自分が動けていないように感じる今日この頃です。
最近の気づきの一番は、次のようなことです。
私は長い間、父を憎んでいました。
私が小学生の頃には、今でいう「引きこもり」になって、父親らしくなく、
家計は、今ではどうやって工面していたのか?と思うほど、
母だけが働き、どうにかなっていたんだと思います。
(母方の親戚の援助もありました、今も感謝しています。)
そういう父親は私が16、17歳ぐらいの頃には家を出てどこかへ行き、
20際のときに正式に母と離婚したと記憶しています。
その父に、昨年12月に35年ぶりぐらいでしょうか、会いに行きました。
父を許そうと思ったからです。
それは正直なところ「自分のため」でした。
あれから半年以上経ちました。
父を憎む気持ちは和らいだと思います。
でも、まだ完全には許せていないように、思いました。
最近の自分について思うとき、
その気持ちの発端は「父への恨み」だろうと思ったから。
私はどうやら「仕事をする」ことで「立派に生きている」と自分を認めたいところがあるようだ。
父への憎しみ、反感から、その反動で「自分は仕事を立派にする」ことに意識のほとんどを費やしてきたのだと思う。とくに私は技術屋としての意識が強く、「技術的に優れている人」になることに一生懸命で、さらにだんだんとその本質より認められることを求めてすぎていって・・・、
でも、「技術で一番」なほど優秀にはなれていないし、地位や名誉を得たわけでもなく、その憎しみや反動からの動悸が強い分だけ、人生の舵取りが変な方向へ向かってしまった、と思います。
つまり、一緒に働く人との人間関係を悪くしたり(短期的に表面上良くても、私がもっとを望み離れたりして、無理な独立をしたり・・・)、技術以外にも大切なことがいろいろあるのにわからないまま、今日まできてしまった、、。
さらに、仕事で人をジャッジ、評価、差別している自分に最近気づきました。
同業の技術的に未熟な人に厳しいように感じたり、
初対面の人を知る時に一番気にしているのが仕事のようにも思います。
しかしながら、
最近はこれらの矛先が自分に向いていて、
今、特定の顧客に向けての仕事をしていない、収入に直接つながらない時間を過ごしているため、
自分の自己評価が低い状態にあることが、自分で自分を責める状態になっているように思いました。
今日は、「自分のOUTPUTするモノやコトに自信がないのか?」と自分に問う、そんな気づきの時間がありました。
慣れないモノをつくる(Webページのデザインする)ことがなかなかできない、
試作もできない、
そんな状態が長いのでので、自分にその「手が動かない自分の感情を正直に感じてみよう」としたとき、
OUTPUTすることに何かの怖さを感じ、その怖さってなんだろう?って考えると、
自分で自分を厳しく評価、ジャッジしているように感じました。
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ここまで書いてみて、
父への恨み、憎しみ、
私のインナーチャイルドの感情を改めて感じて、聴いてあげないといけない、と思いました。
(これまでの1週間はほぼインナーチャイルドの声を聴いてきたのだが・・・もっとだ!)
この1週間、インナーチャイルドに寄り添ってもきました。
(人に話を聴いてほしいって思う時って、自分が自分の声を聴いていないときだからね❣️)
インナーチャイルドの感情を感じてきたとき、、、
不思議だったのは、あれだけ憎んでいた父親を求める声も交じっていたってこと。
「父に・・・してほしかった」
「父に一緒にいてほしかった」
そんな気持ちも少し出ていたように思います。
父のことを思い出すと、だいたいは悲しい思い出や恨むようなエピソードを思い出す。
その出来事よりさらに昔を思い出すと、一緒に遊んでくれた思い出もチラホラあるにはある。
インナーチャイルドはそのようないろんな父親に振り回されて悲しそう。
しっかり感じて、インナーチャイルドに寄り添ってあげます。
ちょっと、今回のブログは、気持ちをOUTPUTして、バラバラな文章でした。
私の気持ちに寄り添っていただき、感謝です。