たとえば、ある人がいて、

 

私がその人との付き合い方を急に変えたとすると、

 

たぶん、その人は戸惑うことでしょう。

 

 

私がその人の言うことを良くも悪くも、なんでも受け入れていた場合、

 

ときに「なんか嫌だなぁ」って思いながらも、

 

「ここは受け入れることが大きなココロをもつ自分の役目」とか

 

何か自分に理由をつけて、無理に受け入れていたり、

 

「まぁ、それはそうだろうけど、私の意見も聞いてほしい。

 だけど、上手く言えそうにもないし、、、」

 

と思って諦めたり。

 

 

 

でも、そんなことを私がしていたとしたら、

たぶん、私からみた相手との関係性は悪くなっていくでしょう。

たとえ、私が表面意識として耐え忍ぶことを続けていけたとしても、

なんらかの違和感を感じたり、不満を抱えていくことになるでしょう。

表面意識としては相手に好意的だったとしても。

私が気づかない状態が続いたとしても。(何か変だなって時折思ったとしても)

 

 

 

floweringセラピー®のメルマガを今日の朝読んで、

私は人とちゃんと向き合ってきたのだろうか?と気付かされました。

 

メルマガには、パートナーに初めて自分の怒りをぶつけた女性の話が書いてあり、

きっちりと自分と向き合って「今、私は怒ってるよね」と自分の気持ちを確認し、

パートナーにその気持ちをぶつけたそうです。

何度かやりとりをして、お互いの気持ちを出し合い、最後は笑い合えたそうです。

 

さて、私は人と向き合えているだろうか?

男性・女性問わず、相手としっかり向き合ってきただろうか?と。

 

根本的に、人が怖い、って思っているのではないだろうか?

インナーチャイルド的に、つまり、幼い頃のエピソードを引きずって、

その頃の記憶を心の奥に抱えて、ずっと「人は怖いもの」と心の奥で思っているのではないか?

そして、

人と向き合っていないのではないか?

 

私は、まず父が怖いと思っているところがあります。

日常的に暴力的ということではなかったのですが、

突然爆発される、突然なぐりかかられたことがありました。

子供の頃の私からみて、腕力では必ず負ける、と。

両親の離婚後、ここ35年ほどは直接会っていません。

 

いじめにも遭いました。

小学校4年生のとき、まだ「いじめ」という言葉も朧げだった頃、

クラスメイトのほとんどから暴力を受けたり、悪口を吐かれたり。

 

もっと他にもあるのかもしれません、幼少の私が感じたこととしては・・・。

遡れば前世にまでいくかもしれません。

ゆえに、幼少の私の周囲は怖い人ばかり。

 

今もそう感じているのではないか?

人と対等な姿勢で向き合えているだろうか?

 

 

今日の朝、そんなことに気づきました。

 

 

そして、

 

 

向き合えていなかったから、相手にまっすぐな言葉も出てこない。

だから、適切な言葉も、心のこもった言葉もでない。

ますます人と適切なコミュニケーションが取れない。

ますます怖く感じる。

 

さらには、自分も、自分の気持ちも、しっかり向き合えていなかったでしょう。

 

 

冒頭のある人との場合、

私が不機嫌な気持ちを少しずつ溜め込んで、自分の気持ちを打ち明けていなかったとすると、

表面的には「好き」だったとしても、「嫌い」という気持ちも混在してしまうでしょう。

だから、相手が???となってしまうでしょうし、

私の言葉は酷い言葉になってしまうこともあるでしょう。

 

出た言葉はもう元には戻せない。

たとえ許されても、もう元のような関係にはならないでしょう。

もっとちゃんとぶつかり合って、

言葉を出し合って、気持ちをぶつけ合って、

互いの気持ちを届け合うまでは、悪い関係になるでしょう。

 

 

これからの私は、自分の気持ちに正直になること。

きっちりと自分の気持ちを相手に伝えること。

怖がらずに、しっかり人と向き合っていきたいです。