また私のブログが久しぶりの投稿になってしまいました。

 

いくつか温めているネタがあるのですが、

 

ここに書いてみても、

 

なかなかうまく表現できないなぁ、

 

と思っていて。

 

 

 

と、書いてみて、、、確かに私はそう思っているんですけど、

 

どんなことを書きたいって思っているかというと、

 

「日常の気づき」から、、、「ちょっと哲学的なこと」まで、

 

いろいろです。

 

 

 

その中から、最近やっとできたこと。

 

「自分を愛すること」が大事だなぁってこと、

 

あらためて感じています。

 

 

 

少し前、10年前ぐらい(もっと前?)から、

 

いろいろ心の痛みを感じて、

 

哲学やら、心理学やら、スピリチュアルなことなどの知識に触れて

 

「自分を愛そう」って言われています。

 

最初は???でした。

 

「自分のこと愛するって当然じゃない?

 私、自分を愛していると思ってるけど・・・。」

 

でも、いざ振り返ると、

 

自分について「うまくいかない自分を責めていることばかり」でした。

 

そんなことに気づくのにも、随分時間がかかったものでした。

 

今も、「自分責め」をしてたり、そんな自分責めの自分に気づいたりを繰り返しながら、

 

愛を学んでいるところです。

 

 

 

ところで

 

 

 

その責められてる自分ってなんでしょうか?

 

愛している自分ってなんでしょうか?

 

 

 

鏡に映るのが自分でしょうか?

 

感じる体や心が自分でしょうか?

 

何かを「できた」「した」人のことでしょうか?

 

 

 

今の私は、これらすべてが自分だと思います。

 

そして、

 

生まれてから今日まで、

 

いろんなことに

 

触れて、

 

感じて、

 

考えて、

 

言ったり、

 

行動したり、

 

そして、愛したりしてきた、自分の歴史そのものが自分なんだろうと思います。

 

 

 

今日の「私」はその結果として存在する。

 

 

ここで私が言っていることをわかりやすくいえば、

自分の体験に対して「笑顔」を返していたら、「笑顔」な人になっているだろうし、

自分の体験に対して「悲しみ」を出していたら、「悲しみ」な人になっていただろうな、

ていうこと。

 

ちょっと現実は厳しいって考え方かもしれないけど、

 

逆にいえば、

 

「私は幸せな笑顔の人になる」

と決意して、「笑顔な人」でいれば、そうなれる、とも思います。

 

 

 

 

ただ、このブログでいいたことはもう少し広い「私をみつめて」、、、

 

「笑顔な人」な私、

 

「悲しみの人」の私、

 

いずれにしても、、、

 

私は私を愛そう!って思ったってことです。

 

 

 

私が生まれた日から今日まで、

 

歩んできた道をイメージして、

 

その道のりの中で、いろんなことに喜怒哀楽して、力を尽くしてきた自分を愛したいなって。

 

 

結果、エゴ(思考)の(軽々しく描くような理想に)思うような人になっていなくてもいい、

 

「よく乗り越えてきたな」

 

「あのとき、死なずにすんでよかったな」

 

「あのときのことを考えると、今は恥ずかしい。私を正しい道に運んでくれたんだな」

 

「あのときの自分は弱くて、愛することができなかったけど、今は勇気を出したいな」

 

 

 

何歳のときは、

 

学生のときは、

 

社会にでたときは、

 

 

 

あのときは、

 

 

 

思い出すと、恥ずかしいこともいっぱいだけど、

 

愛すべき人、私の珍道中を愛したいなって思えるようになってきたなって。

 

 

 

そうやって、自分の「こころ」と「からだ」と「れきし」をすべて愛して

 

これからも「愛を学んでいきたいな」って思います。

 

よければ、一緒にいかがでしょうか?