昨晩、銀座まるかん特約店事業のブログを書いていて、
さらに言えば、❤️舛岡はなゑ❤️一人道❤️Zoom講演会の感想を書いていて、
自分のこと、気づいちゃいました。
私は、自分のことが怖いんだと。
私は、自分がなにかしでかすのではないか?って、いつも自分を見張ってた。
見守って、というより、監視して「こういう自分でいなきゃ」っていつも緊張してた。
ときには、コントロールしてるだろうと思う、無意識的に。
そうやって、自分で自分をコントロールしてたから、苦しいんだ!って分かりました。
ときどき、
ここまで、こういう理解まで、辿り着いていたんだと思うのだけど、
本を読んで、エゴやコントロールの仮面やら、いろいろな言われ方で読んでいたけど、
floweringセラピー®でも似たようなことを言われていただろうけど、
思考(本当じゃない自分)が隠してるように思う。
(活字、情報として読んでわかっても、自分のそれとはつながらない感覚というか)
でも、これはとても苦しい状況。
そして、慣れ切っているので、変えにくい状況だとも思った。
そもそもは・・・親のいうことをキッチリ守る良い子になりたかったんだろう。
幼少の頃は母親のことが好きだったから。
母に頼って生きていたから。
でも、それがある度合いを超えて、厳格にしようと自分で決めてしまったんだと思う。
厳格に・・・凝り性なんだろうな。
または、よほど親のことが好きか、よほど親のことが怖いか、
母親の血筋の、、ライフスタイルに染まってたか、
つまり、
母や叔母も祖母にやられてたと思われる。
祖母がなくなってから、みんな緊張が緩んでるから。
そして、
こういうことに気づいていない。
監視をやめたら解決ですね、って思う、、、のだけど、
何か、怖い。
自分がしでかすんじゃないか?みたいな。
うーん、たとえば
「本音を漏らしてしまって、他人に酷いことを言ってしまうのではないか?」とか
「楽にしていると、自分が周囲の人を不機嫌に思うことに気がまわってなくて、やっちゃう」とか
そういう、失言とか、やっちゃった、みたいなことで、
酷く嫌われたり、酷く不満な顔をされたり、殴られたり、怖い目に遭ってきた。ほんとうに。
でも、そのときは
「あぁ、自分がやってしまった、申し訳ない」ってことと
「めっちゃ怖い顔」されたり、殴られたり、
自分が原因で、相手を本当に不快にしていることが起こってしまって、
謝るまえから責められて、謝っても許してもらえなくて、
そんな経験が、、、なんか記憶から今出てくる、、だから、、、
「やっぱり、自分を監視しておかなきゃ」ってなってる。
でも、そういう監視をしていると、苦しい。
そして、
「監視する」やり方でその能力を伸ばしてきたから、
「愛で生きる」自然な生き方がしぼんでる、ように思う。
「監視する」=「周囲との緊張の世界に生きる」ことになるから、
周囲の人は、敵ではなくても、仲間という気持ちになかなかなりにくい。
すっかり打ち解けるまでは、なかなか仲間と思えないんだろうな。
だから、
日本の1億2千万人のうち、ほとんどの人の前では緊張してるんじゃないか。
緩んでもいいと思うとき、たまに失言してしまったりして、
とたんに緊張関係に戻り、、相手は許してくれるとしても、
「自分はやっぱり監視が必要な人なんだ」と自分をキツく監視下に置くことになる。
そう、自分自身に信用がないんだよね。
これが辛いし、さまざまな活動が重たくなる。
「愛で生きよう!」って思っても、
基本は「人とうまくやっていけるかな?」って不安があって、
自分を監視しながら生きることになるし、
力が入っている分、相手にも緊張が伝わるだろうし、
自然と相手の評価が気になるし、
そういう関係性だから、なかなか「愛で生きる」ような関係性になりにくい。
私の側に「愛」は育たないよな。
だから、
自分自身でも疲れてしまって、「もう何もやりたくない」ってなる。
あぁ、なんかすごく自分のことがわかってきたよ。
こんな自分も受け止めてあげたい。
こんな自分だからこそ、愛おしく思う。
いままでよくやってきたよね。
感謝です。
同じような人も多いように思う。
自分がなんとか「愛を育て」て、この負の連鎖から抜け出して、
他の人も、負の連鎖から抜け出す方法を教えて、
みんなで愛の世界に行きたいな。