ジョルジュ・バタイユはこう考えた。
私は他者と断絶している。
他者から「断絶」されているのが人間の通常の状態である。
しかし人間は常にこの「断絶性」の檻から抜け出して、他者との「連続性」に至ることを夢見ている。
つまり他者と完全に繋がりたいと思っている。
では、どうすればいいのか。
「断絶」から「連続」へ至る方法はふたつある。
それが「暴力」と「性行為」。
「暴力」はこの世の秩序を反転させ、死の世界への扉を開く。
それは理性以前の世界。動物的な世界。
自分と他者の区別もない、カオス。
眩暈のするような、あの気色悪い感覚。
「性行為」は、自分の失われた半身と一体になろうとする試み。
孤独を超えて、恋人とふたりで完全な存在になろうとする試み。
そんな一時の充足が長く続かないことは、誰もが知っている。
恋人は、僕の身体をきつく噛む。
皮膚が破れるほどにきつく。
あれは本能的に、僕を彼女から区切っている「身体」という壁を、食い破ろうとしているのかもしれない。
そういえば彼女の書いた詩に、こんな一説があった。
「そして私たちは一体になる」
このまえ噛まれどころが悪くて、僕は左指の神経を一本失った。
どれだけ噛んでも抱き合っても、ひとつにはなれない。