人間てそう教えられて来たから
大抵のことは良い悪いって判断する
そして自分の考えとして表現したりする
思い出すと学校時代は学活?
クラスの意見をまとめる話し合いの場
そんな時必ず反対意見を求められる
誰かが賛成の意見を言ったら同じ意見はいらなくて
反対する人だけ反論をする
そして多数決を取る
帰りの会とかも
その日に規則違反をした人をチクる会
規則違反って些細なことが大罪になる
なんか
こんな習性が根付いてるんだろう
ニュースを見てもやっぱりジャッジする
そのニュースしか知らないし
真相は定かじゃ無いんだけどね
そんなことが当たり前だと思ってたから
精神世界のジャッジしないという鉄則に出合った時
意味が分からなくて困惑した
長い時間向き合って来てその意味が分かって来ると
そんなことがあるんだ~
で済むようになった
そして自分に関わることだけ自分がどう思うかを考えるようになった
自分の行動を選択するのに必要だから
大切に思う人の選択もそのまま受け止めればいい
自分にとって残念なものでも
それは相手にとって大切な意味を持つ選択として尊重する
その先の結果なんて誰にもわからない
巡り巡って自分の幸せにつながるかもしれない
そんなことをね
結構経験した
真相って
自分の想像をはるかに超える物だったりもする
物事をジャッジしないで受け止めるって
難しいことだけど楽に生きれるスゴ技なのよ
一喜一憂は疲れるし
世の中を大きく見るコツとして推奨