学習障害で、読み書きが出来ない(苦手な)方のブログを読む機会がありました。

理解が乏しいため、誤解があったらすみませんあせる

私が、そのブログを読んで感じたのは、出来ないことは、仕方ないよね、ということ。

教わっていないことが、出来ないのは当たり前。

誰だって、最初は上手く出来ないし、もともとその能力が備わっていないなら、ずっと出来なくても仕方ない。

その方は、ジュエリーのデザインをされていて、私などは、素敵ラブラブ!って思っちゃう。

ジュエリーのデザインに、読み書き必要ないし(^。^;)

そこまで思って、じゃあ私は、何故に娘には厳しいんだろう(-_-#)
いつまでたっても、お箸がちゃんと持てない娘。

何度教えても、雑巾が絞れなくて、ビチャビチャの娘。

実害があるから、イライラします。

つまり、実害がなければ、イライラしない。
“私が困る”んだな~。

お箸が持てない=「ちゃんと躾も出来ない親」だと思われたくない
(心の声:だって、ちゃんと躾してるもん!)

雑巾が絞れない=忙しいのに、イチイチ私が絞るのは嫌、幼稚園でで迷惑をかける
(心の声:私ばっかり忙しいんだから、それくらい手伝ってよ!
迷惑かけたらダメでしょ!)

冷静になれば、娘は習う気持ちはあるし、少しずつは上手くなってきているのだからと、余裕が持てるのだけどな~。

そのあたり、少し掘り下げてみてみようかな。

結局は、私は私の理想の娘像と娘と比べて、それを娘に押し付けようとしているのですね。

娘には、私の理想を超えた良さもあり、それは認められるのに、他の人と比べて出来ないことは、認められない(-_-#)

平均した、つまらない(一概にそうとは思っておらず、娘に関して)人間になって欲しい訳ではないのに、実際はそれを求める言動を取っている。

それは、自分自身にもいえること。

苦手なことが出来ない自分は、認められない。

だから、それをみせてくれる娘に、イライラするのでしょう。

人としての平均値としてのバランスではなく、自分にとって心地好いと感じるバランス。

〇のまんま、少しずつ苦手も克服しながら、強みを発揮出来る私になる(*^^*)

どんな道を選んでも、私らしくいられるように。

さぁて、夕飯は何にしようかな~音符

最後までお読み頂き、ありがとうございます。
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